ドラマの話じゃなくて、ポジショナリティに関する原則論なんだけどさ。

いや、「ラストフレンズ」見てないんだけどさ…。
「ラストフレンズ 同性愛」の検索結果 - Yahoo!検索(「ラストフレンズ 同性愛」で検索かけた)
まあだからドラマ見てない訳だけどさ、なんか社会問題を取り扱ってますよーみたいな作風らしくって、そいでもって「誰にも言えない悩みDV、妊娠、禁断愛」てコピー付けてあるから「もしや…」と思って検索してみたら…、上の通り、「上野樹里さんが同性愛者役」説が浮上してるゾヨ…。。。

もし本当に「同性愛=禁断愛」とかだったらイヤだなぁ・・・。

真相はどうなのか知りませんけど、そういう認識って色々抑圧的ですよ、フジテレビさん。違うことを期待してるぞ。


ていうかあれよね、同性愛を禁断にしてるのって、今のこの異性愛社会よね。抑圧してる側が自ら禁断に仕立て上げておいて、時にはうっとりしたり時にはパニクったり時にはバッシングしたりとか、本当に世話ないって言うか一人上手って言うか、はたから見ていてやたらイタい…。
そんな訳でして、私は異性愛者が同性愛を禁断愛だと位置付けるのは嫌い。「あなた達はそういう事を言える立場じゃない」と思っちゃうからね*1。ま、今時そんなこと言う奴いないよね…、とか思ったらたまに見かけるのでタマげるのだけど…。


…うぅーん。どうやら私、基本的に「(はた迷惑な)オナニーは一人でやってください」派みたいです。
なんちゃって。

*1:とか言ったらまたルサンチマンかって言われるのかしら?別に禁止されるイワレもないのに同性愛が禁断だとされるのは明らかに<異性愛規範>に基づく認識だけど、その規範を抱えた社会で規範に基づいて禁断だと言えるのは、ある意味異性愛者の特権みたいなものじゃない?だって、同性愛者が「同性愛は許されざる禁断の愛だ!」とか言ったら素で自分の首締めるだけだし。異性愛規範に則った権力行使という文脈で、異性愛者は自分の権力性に自覚的になる必要があると思うのね。