「腐女子」って名前で語るのはヤヴァいし、怖い。

最近さすがの 見ない見ないバ〜 な私も無視できないツイッターからの話ですが。
昭平腐女子の「アングラのままでいい」から「マナー論議」へ - Togetter
「カタギ」て…。
前半ちょっと読んだだけでこれから読むんだけど、ひとまずココらへんの流れがはわわ〜ってした。(はわわ〜って表現、昔から俺が使ってるのに勝手に手垢にまみれてて滾る。)

@now_fes このタグの世代は、自分たちがあくまでもアンダーグラウンドの人間だと意識している人が多いんだろう。万人に認められる嗜好じゃないから、カタギに迷惑かけないのが当たり前だったよね。 #shohei_fujoshi
7:47 AM Jun 6th モバツイ / www.movatwi.jp から

http://twitter.com/kamineko0817/status/77710721554726914

@now_fes 自分はアングラでしか生息できない時代に目覚めた世代らしい。だからネットやなんかで揶揄されてるような、一部の子がカタギの前でやらかす「怖いもんなし」な行動には猛烈に戦慄する。 #shohei_fujoshi
8:00 AM Jun 6th モバツイ / www.movatwi.jp から

http://twitter.com/kamineko0817/status/77713944843792384

@now_fesなんかね、最近の版権二次創作は「原作者の優しさでスルーしてくれてることで本来はグレーゾーン」なことを忘れすぎな気がする。自重してなさすぎてハラハラする。#shohei_fujoshi
8:28 AM Jun 6th モバツイ / www.movatwi.jp から

http://twitter.com/Akumo10o/status/77721067325628417

@null ヲタクや腐女子であること自体は悪くないのだけど、だからこそマナーを守ることは普通の人以上に気を付けなきゃいけないと思うんだよね #shohei_fujoshi
8:42 AM Jun 6th Saezuri から

http://twitter.com/ryu_sazaki/status/77724488900411393

これらの話は昭和腐女子平成腐女子っていう分け方をした人がツイッターに最近いて、そこから派生した話を#shohei_fujoshiってタグで続けてるものであり、注意して欲しいのは、一人ひとり色んな意見を持った人が話しており決して皆同じ思想を語ってるのではなく、個々の発言が集まって作られた流れのすべてがかれらひとりひとりに還元されるべきではないということ。
その上で書くけどさ、やっぱり腐女子のマナーってあまりにアンフェアなことまで常識・倫理として位置づけられてるよね。そしてソレが腐女子の責務に還元されてしまうのがすごく問題だと思う。
いやだってさ、よく考えてみてよ?
二次創作がグレーゾーンで著作権侵害スレスレとかいう問題って腐女子の問題じゃねーだろ!
いや、「腐女子だって関係なくナイ」とは言えるけど、最近思うのは、本当「腐女子」って名前使ってアレコレ考えるのヤヴァいよなぁってことなんだわ。
二次創作により著作権の問題というのは、それこそはっきり言ってオタクの問題ですらないよね。似たような問題はおそらくツイッターやブログでの引用でも起こりうるけれど(ちょっとした改変して載せるとか少し似てるね)、それは侵害する行為が問題なのであって、腐女子とかオタクという主体の問題ではないじゃない、詰まるところを言っちゃえば。
それをあえて○○の問題だって語るのは自由なんだけどさ、腐女子の場合それが結局内罰的な方向でまとまってしかも「日陰者」とまで侮辱されることをさも当然に受け入れさせる流れが自然と作られてしまうんだよね。それは単なる慎ましさではない、まさに「大和撫子」のように時代錯誤なまでの自己卑下を求められた上での人格形成ではないのかな。
そう、腐女子というのは名乗る人ひとり一人で違う人間であるのに、人格化されてるんだよね、もはや。なんだってそうなんだけど、主体がクローズされることで人格としての名前が出来上がり、問題が起こったらまるで名づけられたものに原因があるみたいに語られる。果ては「乱暴されたのはお前が○○だからだ!」て罵倒にも繋がる。

でもコレ今回に限らないよね。
私は「腐女子」って名前を使いたいと思う当事者がいるなら勿論ソレに文句をつける筋合いを持たないけれど、私がBLや二次創作といった「腐女子」と呼ばれたり名乗ったりする人にも重複して関わる問題について語るとき、果たして本当にそこで「腐女子」って名前を使っていいのか分からなくなってる。

腐を名乗るということは、現代に至るやおい・BL・JUNE・腐etcといった文化を担っています、という表明であり、ゆえにそれらの文化に対する当事者性を持つということよね。当たり前の話をするなら。
で、私はそれゆえに表象暴力の問題においても、腐を名乗る以上は他人事にしてはいけないと思ってるの。
私は「腐男子」ではなく「腐オタ」を好んで名乗ってるけど、それは“腐ったオタクらしさ”とも呼べる何かが既にこの世に生まれてるように感じてるから。よくゲイが腐男子を名乗るってどうなの?っていう疑問があると思うけど、考えてみれば何かを読んだり描いてみせたりすることにわざわざ腐という名前を使う理由なんて特別なさそうに思える。
たとえばワンピースを読む人をワンピ厨とか言うこともできるけれど、普通言わないし、ワンピースの新刊を毎度買っていく人に名前がわざわざ必要かしら?ないよね?ワンピースを買って読むことやキャラの絵を描いてみせることはとてもありふれたことだろうけど、名前をつけなくてもいいんだ。という事実が一方にあること。
それと一緒のことだと思う。以前(こちらでリンクさせてもらってる)ブロガーさんが仰ってたことを私は忘れられない。「同性愛表象を読むことを特別なこととしたくない」的な言葉だった。なぜ男性同性愛表象を楽しむことに特別な名前がいるのか?日常生活のなかでお茶を飲む人に名前はいらない、なのに腐女子という名前があるのは、それは同性愛表象を楽しむことが特別な普通でないことだとする思想があるのではないか?
そういう危惧は成る程言いえているけれど、同時に私は腐という名前における共同性、腐ったオタクとしての連帯感を持ち合わせたい動機も抱いてるんだよね…。
だから腐オタ。クィア男性と区別化する機能を持ち始めてる腐男子を名乗りたくはないけれど、私はただ<同性愛表象>が好きなんじゃない、<BL>が好きなんだ。だから私はあえてソレに名前をつける。でもソレは他人から理解してもらうためじゃない。ましてや搾取されるための名乗りじゃない。

一種の意思表明ではあるけれど、それはBL・やおいをリスペクトしてるから名乗るんだ。バカにするためや、普通ではないと異端視するためじゃない。腐だからこそ成せた表現がある、可能性がある。ホモという侮辱語をあたら使うこの業界で、どんな「ホモ」が生き残り、もしくは生き残れないのかが気になって仕方ない。その文化に依存加担してるという表明なんだよね。私が「腐オタ」って言うのは。
そして名乗るからには、現在において男性同性愛を当事者よりも多く語り、最も大きな広告塔のようにそびえることの意味についても、責任を持つ。腐の中には女性同性愛者や両性愛者がいるだろうけれど、少なくとも商業BLは彼女らをターゲットにしてないはず。異性愛者による同性愛の語りが増えるというのは、それ自体がとても制度的な権力(格差)構造に関わってくる。私もその一端を担ってるという自覚があるべきだと思う。その意味でも私は「腐オタ」なんだな。


でもさ、ここで引っかかったのが、「BLが成してきた表現」「BLだから生まれる可能性」って何なんだろうなってこと。
私はBLを好きなあまり、BLだけを特別視する嫌いがある。
「こんなところがすごいんだよ!他には真似できないね」って。
でもその表現は本当にBLだけの特徴だったのかな?
私はBLを高く評価することで、少女マンガであるとか青年誌であるとかサブカルであるとかが成してきた表現たちやその歴史を無視しちゃってはいないのか?
という反省が足りなかったように思う。

ほら、あるじゃない。
BLは男のホモソーシャル脱構築した云々かんぬん、男を客体化して云々かんぬんとかって。でもソレってBLに限ったことか?BLが男や男たちの関係をリプロデュースしてきたり、それによって性規範を逸脱しオルタナチブを示唆してきたと言うならば、他のジャンルは性規範に何ら批評性もなく従順なだけだったのか?
BLだから出来たんだ、という驕りが私の中にあったんじゃないのか、ふとそんなことを考えると何か頭が冷えた。内心他のジャンルをよく見もせずバカにしてたんじゃないのか。ソレってどんだけ失礼なんだ。

でもそういうことって「BL」だけじゃなく、「腐女子」についての語りでも事実起こってるように見える。

あまりに自重という圧力が高いために、社会全体の問題をあたかも「腐女子」(と一方的に名づけられた人々)に集中して押し付ける様は幾度か見かけたけれど、それって本当に「腐女子の問題」として切り取ってよかったの?そうすることで他に対する責任を不問にしてきた恐れはないの?

腐女子の原罪とか業とかアホらしいって思う。たとえば実在の人で恋愛や性愛の妄想する人なんてドコでもいるけど、それは誰がやっても「性的視線の問題ですね」で済むのに、「腐女子」って単語が入った途端スゲー反省しなきゃいけない特殊な罪を背負った犯罪者みたいな話になる。
なんだろね、一般化すべきじゃないミクロな問題を一般化しとるウザさもあれば、全体に通じる責任をやたら一個にばかり押し付けて後は不問に帰すウザさもあるっていう。

http://h.hatena.ne.jp/nodada/243599236640435207

腐女子にだけ「ゲイに失礼だろ」といって自分は平気で「ホモネタ」で盛り上がる人は普通にいそうなものだが、やれヤクザだとか大和撫子だとか原罪だとか大げさな言葉が普通にまかり通る背景には、「腐女子」て名前だけが一人歩きして過剰に異端者として意味づけられてる部分があると思う。そういうのは何だかとってもアンフェアだ。
腐を名乗る以上は確かに無関係ではない問題はいくらかあると思う。名乗った分だけ明らかな意思表明がなされてるということ。だけどソレは名乗ったから発生したというよりは、最初からある「自分の物語を好きに解釈されたらどうしようね」とか「他人に性的視線を送るのってどうだろうね」といった問題に、名乗ることでコミットしたと言った方が妥当じゃないのかしら。

そもそもマナーなんてものは実際にはそれほど当たり前のものじゃなかったりもする。電車内でのお喋りや音楽や化粧だってマナーとして問題視されてるけれど、さほどマナーに位置づけてない地域はあるだろうし、マナーって別に絶対不動の価値観じゃない。時代によっても変わるし、それほど確かでもないのにもっともらしく語られる。けれどソレって誰のために作られた誰に都合のいい価値観なんだろう?
障害や疾患によって一般的な生活様式を全部こなせない人はいるけれど、そういう人にはふさわしくないからと言って席に着かせないことは何ら変えなくてもいいマナーなのか?といった反省もなく、ただ教条的に「マナー」を振りかざすとき、様々な層の様々な生を無視してしまう。
もっと私に身近な例でいえば、「女同士や男同士の話は私的な話なんだから職場やレストランや公道でするな」という主張はお馴染みだけど、たとえば異性婚の象徴たる結婚指輪を公的とされる場面でさらしても、異性のパートナーがいることやその彼氏彼女とのやり取りを世間話に出すことは禁じられていない。なのに、同性との話は何故か避けられるべきだとするマナーがまかり通っている。二枚舌もいいところ。
マナーとは言わなかったかもしれない、けれどカミングアウトしなければ勝手に異性愛者扱いされてアレコレ面倒なのに「あなたが非異性愛者であるということは、わざわざ言うことじゃない」「そんな話は性的だ」とされる。この不条理な不均衡は何だろう?
異端者ゆえに普通ではまかり通らぬ侮辱や(押し付けられた)マナーの重責というのは、マイノリティによくある光景だ。ストレート側によって都合よく作られた常識や倫理を押し付けられる回数や重さは、クィアな部分に対してだけ不均衡に多い。そんなものを常識と呼ぶな、倫理にすりかえるな、と思う。
もちろん問題がなかったことにするのではない、問題は最初から社会的なものだったのだと認め、問題の所在をある人のクィア性に求め、問題がクィア性によって生まれたんだと不当に決め付けるなということ。

あらためて考えよう、今そこで「腐女子」や「BL」という名前が必要だったのか?なぜあなたは使ったのか?
そういう吟味反省から見えて来る問題の全体的輪郭があると思う。
腐オタの私にとってそれは非情に難しい思考実験だけど、それでも少しずつ考え方を深めて行けたらいいなと思う。