そしてやっぱり我がこと・・・。

ここから先は本題とすれる上、あくまで自分の観念的なものの考え方を書きたらすのでー。そういうのが興味ない、他人の人生観なんか知るくぁコラヮア!な人は避けてね(^v^ゝ 後、長いし。
って、結局トラバエントリーの内容に触れるんだけどご愛嬌と言うことで大目にみてください。(どの愛嬌だ。)



本当は「愛」なんて概念私は門外漢だから、CJMichalskiさんの僕のペットはサラリーマン (バンブー・コミックス 麗人セレクション)に出てくる「愛戦士〜ラヴウォリアー〜」あたりに丸投げしたいんだけど。*1
自分で愛とか好きとかなんとかの言葉のニュアンスの諒解を得ろと言ったのだから、自分も自分の価値観を整理していこうっと。

突然ですが私、関係性の持続が困難なんです。窮屈なんです。なんらかの関係がずっと弛みもなく続くかと思うと息が詰まるんです。
でも最近これって私にだけある感じ方ではないなと思った。前にドラマの「ショムニ」見てたんだけど。主人公ツボイチナツは男とっかえひっかえ。「女の価値は男の数!」なんて素っ頓狂な勘違いを惜しみなく発揮してくれる人なのだけれど。とにかく多情なのです。そんなチナツがたまに言うのね?「好きなら後先考えず突っ走れ!」みたいな・・・。あれよく考えると「そうか、あんたは考えないから私みたいな苦しさがないんだな」って。彼女だっておそらくは付き合い出したらなんらかの失望をし、付き合いを断念せざるを得ないかも。だけど、彼女は先のことは考えない。考えたとき私は未来に絶望する(多情だし、且つ相手に無関心だし!)。だから付き合うか付き合わないかの選択肢を取れない。彼女ももしかしたら永続的「お付き合い」に自信を持てない類の人かも。そして、彼女と俺との違いは選択肢をとるかどうかと言う違い以外はないような気がする。
そして、多分両方に共通することがあって。それは(実際どう行動するかは別にして)、終わり(別れ)を迎えることを前提にしてる、ということだ。「お付き合い」に対して常に終息するものだよね、て認識が自分の中にはあるんね。
私はどうも死ぬまで一緒が辛いらしい。
でもまず前提として、世間一般では(私の↑の本音はともかくとして)「お付き合い」はあくまで無条件に半永久的なものだと解釈してる。*2でも、私はその慣わしに則って付き合おうと思うとなぜか息苦しい。無条件の愛の保持ってつらそー、て思う。

話は変わって私が高校通ってた時分のこと。(ハズカチー!)
私、一個先輩の柔道少年に割りとご執心だったのね。これが好青年な、しかしワンパクな愛い坊主頭君だったんだけど。*3そして、私は大層な妄想少年でした。
もうね、学校行ってる間とか四六時中彼の事考えてたのね。友達と話してるときも昼飯食べてるときも授業受けてるときも(オイ、家では寝る前に考えてたりしてたかな。
でもなぜか彼と自分の関係については積極的に妄想できなかった。というか、したくもなかった。例えばドリーマーな人なら彼との展望、行く末を考えるだろうと思うのだけど、それは私なんか面倒くさくていやだった。彼とどうともなりたくなかった。彼と言う虚像がいれば充分、みたいな。*4

なんか私、少なくとも生物の「男」に対しては即物的な欲求しかないみたい。*5
やれ、抱けーだの。やれ、可愛がれーだの。その中でロマンチックな欲求さえも私には所詮一時的なものとして要求するものなんだ。(もしかしたらこの感覚わかんないかなー。)

その他にも、友達に対してもそんな向きがある事に気づく。無償の友愛ではなく、見返りが確かにあるから付き合う。友達との関係を保持することでメリットがあると思えば関係を持続させる。いわば彼彼女らとの関係は契約関係的に捉えられている(需要と供給)。さみしーよーとメール打てば遊んでくれるかもだし。遊んだら自分の中で解消される物があるから友達で居る。言葉汚いけど、キープするって感じ。その中で私も相手に(私と友達で居続けようと思える程度の)なにかを供給する。具体的なメリットがお互いの関係を支えてるとわかってる上での関係は割りと抵抗がないらしい。

そして、私は世間一般の「お付き合い」と同様のニュアンスを「恋愛」もしくは「愛」に感じていた。(これも一種の思い込みでしょうが。)
それもあって、最初のエントリーで「愛してる」ではなく「好きだよ」がいいと思ってたんだな、と気づいた。
だから、今はmiyakichiさんの言ってた、

多分、日本語話者を相手に「愛してる」一本槍で気持ちを伝えきることはおそらく無理で、「好きだ」とか「恋しい」とか「切ない」とか、そういうやまとことばを織り交ぜた方が、腹の底からすとんと理解してもらいやすいんじゃないでしょうか。

に深くうなずける。あ、そっかー。日本的な言葉って結構細かいというか直裁っぽいしなー。そういう言葉の羅列だと安心するかもー。と。
具体的内容を示唆するような理解しやすい言語でないと、私には受け取りづらい。「好きだよ」のなかには、例えば「お前は俺の趣味を分かってくれるから好きだよ」とか「お前はタイミングよくフォローしてくれるから好きだよ」が入ってるんじゃないかな?と思えたりして割りとすっと理解できる。言葉の具体的内容とメリットがわかって安心できる。そう思ってたのね。
でも「愛してる」だと、「愛」自体がアガペーだのエロスだのがごっちゃに含有する言語だから、「え?それ結局何の具体的メリットがあって言ってるの??」てなる。ひとりで勝手に愛という言葉の複雑さに混乱するのね。
単に私は具体的な意味を分離して明示してくれないと不安になる性質なだけらしい・・・。具体的内容を示すことにより、「俺とお前の関係は○○で成り立ってる。」と納得するので、それもあって「愛」より「好意」が重要と感じていたのだった。そこに、無条件の永続的関係性という価値観はない。関係性を持続するのに理由があり、尚且つ具体的で正体がつかめやすい。これが私の中の「愛への違和感」だったのだな、と整理できた。
はい、おしまい!無駄に長くなった気がする。(それと・・・言葉足らずの私の文章、果たして意味分かったでしょうか?)疲れた!はい、もういい。なんでもいい。えっちゅーねん。もしここまで読んだ人がいたらありがとー!尊敬!なんでこうまとめられないかなー私。本当は「スクランブル」本のことも書きたいけどとりあえずここまでです。長いことかけてゴメンナサイでした、それでは終了します。

*1:それもあんまりか・・・。(コミックスか当作家のHP、M2COMPANYギャラリー等を参照のコトw)

*2:昔周囲の会話で聞いた事だけど、付き合ってるのに「何時終わるかなー」「そろそろ潮時か」なんて別れを予定してる人がいて。あれ、昔の私には正直意味わからなったなー。

*3:ところで私、今日たわしにトキメキを覚えてしまいそうになった。 どうしよう・・・。

*4:念のため言っておくが、これは私がゲイ(に近い者)だからではない。あくまで私の性分っす。

*5:ちなみに友達は男である事よりも友達である事が重要視される。