むざむざ!

たまに思う事。


昨日のやつは・・・でも申し訳ないことに、性的倒錯と性的嗜好という語への解釈を深めた方がよさそうです。
まだなんとも言えないこと。しかし、カミングアウトとゲイリブ的話法についてなんとなく素人が考えてることを述べた、て感じでまとまられたので。私的にはいいメモかも。←またメモかよ。
てゆうか、私の反省点はそんなことよりも投稿してからの追記訂正をやめるほうが先決かと。


要は、言葉の意味が恣意的に狭まれていて、与える印象があまりにも画一的でお粗末。人間の実存っぽい形質を誤って見捉えてはいないか?という違和感の提示。でした。
なんにしても意味がネガティブすぎてお話にならない。てか、しづらい。


あと、どうでもいいんだけど。またまたwikiの同性愛関連を覗いてたんだけど(私って同性愛好きだなぁ!)。
キンゼイ報告 - Wikipedia
キンゼイ報告の「性行為に関する報告 同性愛」で表記されている

「16歳と55歳の間の少なくとも3年間多かれ少なかれ、専ら同性愛だった」

の表現がなんか笑った。なんか受ける・・・!多かれ少なかれモッパラっ・・・・!! なんかおかしいぞ?笑いのつぼを押された感じ。まるでかつて清掃員やってたおばちゃんが4,5年モップを持つ感触が忘れられなかった、みたいなノリw モッパラ!別腹!違っ。


ところで、私。性欲望の目覚めは割りと早かった。広ーく見積もると幼稚園通ってた頃にはあったんじゃないか?で、早いこと自分の嗜好性には気づいてた。(指向に関しては良くわからない。)早熟!
んで、幼少から自分がいわゆる「ホモ*1」だ!と信じて疑わないわけですね。
そいでですね。最近になってセクマイの人がやってるブログや自分語りを読み始めたんだけど。
いや、驚いた。結構な人等が自分のセクシャリティを疑う、とか、よくわかっていなかった、とか言ってるわけです。ひぇ〜〜!そういうもんなんだ?そういう人も居るんだ?!て目から鱗(が出て来たら多分痛い)。
例えばこんなん→「自分は同性愛者ではないのか?」とかいう言葉も、私には今更感漂うのね。はなっから自覚済み。
「大人になったらきっと治るんだ・・・。」えぇえー〜・・・!?私にはない発想だ、興味深い。

自分の性的な欲望やらなんやらを一過性のものや不確実な物として捉えられる、いわば巨視的な感性は前の私にとってある意味ショッキングだった。

驚くことに、彼等は教えられるわけでもなく性を悩む時分から「セクシャリティは揺らぐ」ことを知っていた。
んで、彼等はそのような経緯(曖昧未確定な迷っている時期)を辿って自己規定を果たしたから、おのずと感性が柔らかさを持つ。(て印象を持ちました。)


一方私は、自分がまるで世界で唯一の特異な存在だと思って悲劇の主人公気取ってたのね。ホント言うと、それが快感だった。
小学とか中学とかは特に、自分がいかに物語の主人公になれるか、で皆競争してたような気がします。それで私は自分の(一応)稀な部分を武器にしてたのよね。同性愛差別に関して言えば、はっきり言って私なんかは(極度の実害を受けた人や本気で悩んでた人と比べれば)なんの“マジな悲壮感”もなかったと思う。*2言い過ぎかな?少なくともどこかで退屈しのぎに使っていたところがある。本当私は根っこが腐っている。あたしゃこれほど性悪なヤツも見た事がない。


そこで思うんだが。


昔から自覚していた(と思い込んでた)ガチっ子が自分のセクシャリティについて
「俺は世間から忌み嫌われる「ホモ」なんだ、なんて可哀相な俺(´Д`;)ハアハア
してた私と
「自分は一体何者なのだろう?どうしてこうなったのだろう?どうすればいい?」
と迷っている人。


前者は、それでも自己肯定の道のりに、割とさらっとたどり着いた。
後者は、恐れるほど慎重に自分を確かめたり迷ったりして、自己肯定を果たした。(ということにここでは仮定しておく。)


セクシャリティが揺らぐことを、感覚的にも事実としても認識出来やすい経緯。それは最初の時点で「決め付けない」ことがポイントではないかな?そうすることで、セクシャリティに迷う、という心理もすっと受け入れられるような気がする。迷った人は迷った分「セクシャリティ」に対して思慮深いのだ。


セクシャリティが揺らぐことを思春期の頃から受け入れられる感性を持てた人と、昔はさらっとゲイで自己規定できた私と。どっちがどう得なんだろう。
       (なんて、どっちが得とか損とかじゃないんだけどね。)


それよりも私は、自分が辿った悪癖の経緯について、その害を考察した方がよさそうな・・・・。

*1:あえて蔑称。

*2:差別の壁に当たらなかった、とかいうつもりはない。心持ちはなんにしても、現体制の洗礼は受けさせられるもので。私がこう言うからって他人に「今は軽い差別しかないんだー」などと勘違いされる余地なんて一などだってありえないー。