書いたYO!

今日はいくつかの記事を扱って、また簡単なことをさも大層ぶって書く事にしますね。(というか、多分私過剰です。細かすぎることで辟易されるかも・・・--;)
前に、BL新日本史で思ったことなんだけど、今日いつものところから下の記事を見つけたんでそれと併せて読んでいこうねー。(はーい、ノダダ先生とお本読みたい子は手ぇ上げてー?)

以下長いです。



う〜ん、学問的な知識ゼロの私が読むと、なかなか面白い展開で考察なさっていて、基本の勉強になります。(何の勉強かは知らない。)




でもここで、私が引っかかったというか、どうでもいいかと思われるかもだけど僭越ながらも注釈を入れたいです。
批判ってわけでもないんだけど、ちょっとこれでは誤解を招くかな?て思ったのー。だし一個一個見ていこうと重湯(思う)。

ちなみに、これから私が示す見解の多くがこれを参考にしております。皆様もどうぞ。

江戸の男色―上方・江戸の「売色風俗」の盛衰 (新書y)

江戸の男色―上方・江戸の「売色風俗」の盛衰 (新書y)

*1



時代を超えて、違う文化に対してセクシャリティ概念を適用させてしまうことへの違和感。

ちなみに、ここで使われてる「性的志向」という表現だが・・・。
この記事は現代の人々のことを言っていないのね。そして昔の時代(セクシャリティ概念がなかった頃)の人々に「性的志向」という語彙を適用してるの。
昔の文化の事を言及してるわけだから、現代と昔との文化的な性の差異について書かれてあると読めるのね。つまり、この場合において性的な欲望を、ひとつの文化的風習と位置づける意味が濃厚になるわけ。そうすると、性的指向も、ここではひとつの志向性に還元される。だって、当時の時代において同性間の性的関係は単純に欲望ではなく、制度的で、習慣として消費される物でもあるわけだから。だから、「制度を踏襲する」という意思がそこに見られるわけね。(客観的に言って志向性が(考察する中で)見出されるとも言える。)
義の為とか宗教的な要素が深く関わる物でもある男色について語るなら、確かに指向と言う余栄志向性かな?と思うし。
だし、まあ、好意的に読めば一応はバランスのいい言葉を選んでるかな?とも思えなくもない。
・・・まあ、私に言わせれば不適切だけど・・・(エラソ)。なぜなら、昔は「性的志向」も「性的指向」もなかったのよね。言語がないなら、そのような概念も通用しないというわけ。だってそうでしょ?セクシャリティ概念自体が性の全体性を必ずしも(何時なん時も)包括してる概念とはいえない。それはつまり、セクシャリティ概念が「現在生きている者」にしか通用しない概念と言うこと。*2セクシャリティ概念自体、現代の文化的視座であるのだから、時代と文化を超えて、今は亡き昔の人々にその概念を適用させること自体、(厳密に言えば)不可能


だから、私はこの記事に対してどうも違和感があるのね。
BL新日本史 「日本の歴史はホモが動かしていた」 - アキバBlog


『日本は世界に冠たる、ゲイ文化の国でした』、『日本の歴史・民俗・芸術・人間関係 これらを男の同性愛の視点でながめると、わかりやすく理解できます』

というのは明らかおかしいだろう!と私なんかは思うのよ。(まあ、洒落かネタのつもりで言ってるのだとはわかるんだけど!)
あくまで、ゲイと呼ばれる層が出てきたのは現代のことであって、「ゲイ」自体昔から普遍的に通用する言語ではないでそ。(というか、ホモセクシャルとかヘテロセクシャルとかの分類が根源的に性を表現できているというのはどうも違うと思う。)
なんかさぁ、「ゲイ」とか「バイセク」とかいう言語が普遍的に性を語りつくせる物と信じ込んでない?私はそうは思わないんだけど・・・。
あのさ、ゲイとかバイセクとかビアンとかヘテロとかなんでもいいのだけれど、「そういう言葉で私達が現在仕切られている」ということ自体が文化的背景あっての事だよね?だとしたら、このセクシャリティ概念を、その背景がなかった頃に適用するなんて無茶でしょ?時代も文化も、事情と背景が異なるのだからさ。


だから、私は一番上の方のJANJAN記事は、「当時の男性の一般的な性的志向を〜」と表現するのはあまり感心しない。
妥当なのはせいぜい、「当時の男性は、男同士で性的接触を持つことが一般的だった」としか表現できないと思う。

間違っても、「信長はバイセクシャルだった!」とか言えないのよ。。*3だって、二つの性別を欲望することの差異を、「同性愛・異性愛」で分けたのは近現代のことであって、私達の文化に他ならないわけだからさ。↓
historyの最初のベンケルトBenkertらへん参照。


とすれば、(分かってる人ならばいいけど、)あまり無闇にバイセクとかの「セクシャリティ概念」をどの時代でも通用するみたいな言い方しちゃおかしいでしょ?と私は思うの。

あのさー、当然過ぎること言っていい?

異なる文化圏に対して、自分達のルールがそもそも通用するわけないじゃん?!!

なんかセクシャリティ概念を万能な十手かなんかと勘違いしてない?と私は思ったの。(我ながら考えすぎだとは思うけど、粘着質な私にはこういうのスルーできないのよ、これが。ごめんねw;)

以前、よそ様のブログで質問したことがあったけど。そこでは、「昔は同性愛がデフォルトだからね」見たいなこといわれてて。デフォルトの意味分からないけど、なんかそれで当たってるみたいに思えるなぁ。(で、デフォルトって何?)
まあ、これは私くらいしか引っかからないことだから、瑣末なことだけどねw(←どないやねん。)

ココで詳しく男色文化を見ていきまっしょい!

さあ、ココで更にJANJAN記事を詳しく見ていこうか。

まず、『男色の日本史』本の内容を紹介してて。江戸以前の男色文化についての言及をされてるのね。

それによると、男色は仏教を日本に伝えた僧侶・空海が中国から持ち込んだものと伝えられ、主に僧侶の間で広まったとされる。

というのは・・・、あまりにも簡略しすぎ。「唐から持ち込まれた物として男色があった」みたいに断言してるあたり、それが正に男色の起源だ、てな風に読めてしまうのよ。これでは不適切。*4

確かに空海も日本での男色を語る上で重要であろうケド、あたかも、「彼がいて初めて男色が成り立った」みたいに伝わっちゃう表現は不適切。
それについては、これの頭の方
http://www1.ocn.ne.jp/~yasumi/sub26/sub27/ensyu3-2.htm

平安時代――「男色は弘法より始まる」?
 表題のように「男色は弘法より始まる」という言葉がある。唐に留学した空海が、仏教知識や経典のみならず、男色の習慣も持ち帰ったというのである。前述のように空海以前から男色はあったので、この論説は誤りである。

を読めば分かる。
他にも男色史~近代homosexuality観の成立と日本における男色の文脈 – Eskandar d'Esfahanなどで男色の事が簡単に理解できると思う。(最初の部分とか世阿弥のこととか色々参考になるよ。)


日本書紀』巻九の神功皇后紀に見る「阿豆那比之罪(あづないのつみ)」。この罪人とは、小竹祝(しぬのはふり)、天野祝(あまのはふり)の二人。彼等の関係は、いわば男色といえる関係ではなかろうか?
「恋愛」は明治における西洋文化からの輸入品だということは以前このブログで触れたが、「色」という精神性と肉体性を2分することなく内包する言語が古くからあったことも(先の引用↑を使って)触れたよね。(history2男色を参照。)
よって、葉隠れを想起させるような心中までしちゃうような二人には色があったと見られるし、・・・私は小竹・天野祝の二人は日本の(少なくとも歴史上確認されるものの最古の)男色を表したものと思う。




他にも、万葉集にも、大伴家持(七一六〜七八五)と藤原久須麻呂との交し合った歌などでも、男色的な風景が見て取れるんだとか。(なにかいいページあったらまたリンク張る。)
というわけで、別に空海が「男色」の起源ではない。というか、確かに、(男色ではなく)「男色文化」なら、僧侶から始まったと見ても一理あると思う。私もそうだという見方をしてます。
けれど、この記事を読むと、どうも、「同性愛は西洋のものと思ってたら、日本にも同性愛はあって、それは空海(仏教)を皮切りに始まった文化なんだ!」て言ってるみたいで、納得いかないよね。

あの・・・もしかとは思うが、男色どころか同性愛をも、ただの文化と思ってないだろうか?・・・て風に思える表現なので・・・。書き方が不味いと思う。*5


そしてもうひとつ言わせて貰うならば。・・・文化に見られる男色と同性愛は違う、そして同性愛は本来的な性の実体を必ずしも表現してる言語ではないよ?*6厳密に言えば現代でしか通用しないだろうし。というか、セクシャリティ概念自体、所詮現代文化の一部分でしかないと思う。
というか・・・、私なんかはセクシャリティ概念は半分嘘っぱちだと思ってるし。


あと。主に戦国時代の武家では男色と言うより、「念契」による男同士の義を重んじる衆道だからさ。男色文化と言ってよいものか分からないけど。大雑把に見ると、武家の男色は一部的に女性を排した男色があったと言えるよね。(それを単純に男尊女卑的な女性蔑視と言っていいかは知らない・・・。)ごめん、江戸時代には確かに女性蔑視、というか、女色を男色より劣った物として語る向きもあったみたいだわ。そもそも、戦国時代じゃなくて江戸時代のことを言ってるから突っ込みどころが違ったわ。訂正。


あと、あんまり関係ないけど。ちょこっとだけ。
西洋文化の到来以前は男色や衆道などが禁止されてなかったかと言うと、そうでもないみたい。
江戸時代には、その関係性があまりにも排他的でいざこざもあったため一部の藩で念契が禁止されてたとか。
江戸時代の歌舞伎で売春(当時で言う売色)を禁じる向きがあり、禁止するものの中に若衆が売春するひとつの男色もまた含まれていたとか。
慶安元年5月に「男色をむたいに申掛、若衆狂する事を禁ぜらる」てこともあったんだとよ。
まあ、勿論。徹底的に男性同士の色や、性的関係を嫌悪するようになったのは近代だろうし。きっと西洋のせいだね〜。セイセイ!
詳しい歴史的背景はwikiをどうぞ。↓
少年愛 - Wikipedia


まあ、空海と仏教から日本の男性間の色恋が始まったと見える表現はやめてね、て話。



社会的要因のみで片付けられる性などない。

社会の流れにおいて、日本の前近代における「男色」は同性愛を考察する格好の歴史的事例であるとしている。一般に同性愛者とは少数派で、人口の2〜5%か、10%ぐらいの割合でいるといわれている。が、江戸時代の日本を見る限り、真実であるとは言いがたい。かつての日本では、バイセクシャルが一般的なものとされたからだ。つまりは、人間の性癖というものは、生まれつきでも特定の家庭環境から作られるものでもなく、社会によって形成されていくものではないか、というのである。


これはどういうことか?
まさか、記事の著者は性が社会的・文化的要素のみで左右され、その実存や本質は常にそこに帰結し、他に還元されることはない!と思ってらっしゃるのか?・・・まさかね。そうではないとは思うけど・・・。

先に言ったとおり、セクシャリティ概念は現代の文化であり、概念自体が時間軸を超えることは(厳密に言うなら)ありえない。
それから、同性愛者の割合が最近では10%とまでいわれなくなった。・・・というのは、キンゼイ報告など多数の調査の、その「仕方」などにより大きく結果が異なるからだよね(ここについてはwikiのキンゼイ報告か同性愛の項目を見ればよいはず)。つまり、分類方法により「同性愛者の割合」なんてばらついてしまうものなんだよね。まあ、性の特徴をある軸を持って分類しようなんてするんだから、ある程度誤差が出るのは当然。


そう、確かな数字などありはしない。数字の上にも社会・文化的バイアスがあると見たほうがよいのでは?


からしたらば、もともと、性について分類すること自体が無粋なことに思えるものー。


そして尚言いたいことは。
性と言うのは、一面的でも一元的でもなく、所詮私達の捉えようによって大きく解釈が異なるモノだって言うこと。


当然、個人の性は、特定の家族環境からをもかたどられる面もあるだろうし、生まれつきの要因もある面で影響してるだろう。おそらく「両方ないしはなんらかの要因との兼ね合いが実態を形成している」というくらいが事実に近い分析ではないかな?
ていうか大体、現代においても性的指向は先天的か後天的かという議論はなかなか結論出せないことだろうし。そんな簡単に社会学習説とらないでよ。
やはり生得的要素と社会・文化的要素が相俟って存在する、と言う考え方が、今のところ妥当ではないだろうか?



というかこの↑文章、10%とかの数字を出したということは、同性愛者の性的指向に言及してるのだろうが。それなら、性癖なんてお粗末な言葉あしらわないでよ・・・。性的指向で統一してくれません?
まあ、プロでないのだしアレだけど。

でも是非そうしていただきたいのだけど、プロのジャーナリストさんは、現在不当な軋轢に苦しんでいる同性愛者に配慮して、同性愛を記事にする際、「せいてきしこう」を性的指向で統一して欲しい。と言うのも、嗜好や志向では、個人のそのセクシャリティセクシャリティではなく、趣味やアクシデントに矮小化させてしまう恐れがあるから。←しかし、なぜ(セクシャル)アイデンティティーで政治や社会に訴えていかなければならないんだ!みたいな意見もあるけどね。趣味で「同性愛を選」んでたって差別されるいわれは全くない。*7


この方の記事、実は以前もこのブログで言及してたりする。出来が悪いので、そのうちそっちの記事も直そうっと。


あーそれから、これ。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/tenjin/yoursong/20070105/20070105_001.shtml
ネガティブからポジティブ。この戦略を否定するわけではないけど。

でも かっこ悪くても別にいいじゃん?

て思わなくもない。というか、かっこいいとか悪いとかじゃなからね、セクシャリティって。いわずもがなだけど。

周囲はすんなりと受け入れたが、どこか自信のなさは残った。

そう、この実感が重要なのよ。何故私達は現代社会で自信を持てないのか?それは、個人が社会に関わるものである事を自明視するなら、個人の責任に還元することではないし、また個人の内面の問題でもあるかもしれない。
なにごとも、原因をひとつに限定して話す事は出来ない。
もし「今はまだ同性愛にあたりはきつくないじゃん?」と言われても、それは本当に奥まで切り込んでみないと客観的に判断できない。一見周りが受け入れたように見えたからと言って、そこに問題がないとは誰にも言えない。
まず見なければならないのは、当事者の実感なのかもしれない。勿論バイアスがあるかもしれないが・・・。
単純じゃないのよね、いろんなことがさ。


・・・そういえば、思ったんだけど。女性同性愛者の歴史って全然見聞きしないんだけど、誰かいい資料お持ちでないですかね?

*1:男色と同性愛を比較することで見えるセクシャリティの解釈はでたらめだと思うけど、でも一般向けの資料としてはとても興味深く親切な内容かな?と思います。

*2:ていうか、猿楽とかの影響で、男女どちらでもない性として美少年を愛でたと言う文化形態もあったらしいので。男女を完璧に分けるような形で男色があったとは限らない。一部では性の対象をわざわざ「男か女か」と分けて見る姿勢が薄いか或いはなかった。という時代がかつての日本にはあったみたい。そもそも、指向とかどうとか言う次元じゃない性文化があったと。それなら、尚の事セクシャリティ概念は通用しづらいと思える。

*3:それに、どうやって死んだ人の性を(たとえば)科学的に解明できる?解釈するにはある程度の文化的背景などを加味した上で、部分的にわかったことを限定して判断・解釈するより他ない。

*4:昔にセクシャリティ概念が当てはまらないなら、現代と近似した例を辿って当時の「性」を追って行くことしかできないわけよね?だとしたら、男色を見つめるより他私達に昔の「男性間の性的関係」を紐解く方法はないと言えるかと。それだのに、男色をこのように簡単に括るような言い方をしては不味いと私は感じる。

*5:女犯を禁じた仏教の到来により、男女の性的関係を回避する向きが出てきた。・・・確かに空海が仏教と同時に男色文化を広めた一因であったのも事実だろうケドさ。でもそもそも、文化的要因があったからと言って、すべての欲望が文化で左右されるとは限らないのは周知の事。この記事にはなぜか「どの時代でも潜在的にいるやもしれぬ(それこそ医学的意味の)ホモセクシャル」の可能性を示唆させていない。そうすることで、全くセクシャリティ概念に関心のない人に、「ああ、俺も江戸時代に生まれたらこういうことになってたのか・・・」などと思わせるかも。←考えすぎ?・・・著者もそこまで思ってはおられないかもしれないけど・・・。

*6:男色は制度的な、・・・ときに児小姓制度で担われてる部分もあったわけだから、今で言う同性愛とは背景が違うし、同性愛にしたってなんらかの文化・社会的影響の下存在してるひとつの「現象」と見てもいいと思う。勿論、現代の同性愛は「性的指向」で担われてる部分もあり、より原初的な性質であるが、そもそも性が可視化されるということは、社会に表出されることに他ならない。ならば、その表出の仕方自体、ひとつの「現象」と読む見方もあるはずだ。・・・多分!

*7:つーか、私の場合自分を嗜好で解釈した方がわかりやすいので、つい性的嗜好て書いちゃうかもだけどw