ちょっとくぃあ〜(来ぃや)!

ワシは単純に考えて、自分の今が変態だって評価されるんだったら変態なんだろうねって思う。うん、変態だ。て風に考えてるので。
もし、今とは逆にワシみたいのが変態と言われなくなれば、ワシも変態とは名乗れなくなるだろうね。


2007-03-20

クイアーについて考えてみよう!
文脈によってクィアの意味は相当変わる、と言われてるけれどねー。
http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2005-10/ss0510-1.htm
クイアという用語の出自。(真ん中辺)
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/tagen/tagenbunka/vol3/yamada3.pdf
これは難しすぎね。


二項対立図式をダツコウチク、てのは正直私の手には負えないわ・・・。せいぜい、あらゆる立場がある中、名前のない私もいますよー、私をなかったことにしないでよねー、と発言していくことくらい。


ストレートによるストレートのための文化。そんな文化がある中で、自分達独自のスタイルを、ストレートの文化の中の「カッコイイ」「最高!」て価値感に合わせる感じで肯定するんではなくてね。


ストレートな価値感を自分さえも持って、その価値感から評価されるように自分達のダメっぽさを認めてもらう。そういうのは単にストレートに迎合的なだけ。
たとえば「マンコ万歳!そしてヘテロな接合万歳!だからホモはダメダメ。」て言われて、「で、でもゲイだって接合するもん!ヘテロと似てるところもあるもん!ヘテロと同じようにいいものだから否定しないでよーメソメソ」と言ってるようじゃ、チッチッチ、ストレートの皮かぶったまんまの蕾ちゃんなのよ。
「え?あんたらがダメダメって言っても知らないわよ?、そんな事。アタシラは、こぉんなステキなセックスを楽しんでいるんだけど、・・・それが何か?」て言って、相手の絶対だと思ってる価値感に自分をなぞらえず、変態を変態として楽しむ。ストレートがカッコイイとしないものであっても、変態と呼ばれていても、それを変態のままに楽しむ根性。

それが(私の)変態根性なのよね。(これが案外難しい。)


変態文化を変態文化として楽しむ。そういう点では既に腐は変態根性ありありなんだけど。でも問題はクローゼットなのかどうかって点だよね。総じてオタク文化は半クローゼットなのよ。
「コミュニティ内で楽しめたらそれでイイ。だってワタシらは腐女子でオタクで世の中に認められないものだもの」てとこがある。
好きしょ』『学園ヘブン』がアニメ化されたとき、私が見てるうちでは「テレビ放送なんてやめて!そっとしておいて!頭痛がする…。」みたいな意見もあったんだけど。色んな理由で内輪で楽しむもの、て意識があるわけ。(世間のBLバッシングが強まったら?他人に腐海をあらされるようになったら?ひっそり楽しみたい。とかとか。)
それは実はストレート規範を内面化してる部分もあると思う。あるいはホモフォビアを恐れホモフォビアを肯定してしまうという文脈。そういうのも少なからずどこかであっただろうと思う。(ただ、無闇に商業的な戦略に出られることで、結果腐の質を下げるマネはしてほしくないという意見もあったと思う。)
コミュニティ内で収まろうとする理由は人それぞれだろうけど、私はBLのいい作品がもっと皆が知ってくれたらいいのになぁと思ってた。
でも腐の内部には、恥じらいと云うのもあったと思うんだ。それはホモフォビアだったかもしれないし、単純に性的な欲望に関与する嗜好品を外に見せることへの恥じらいだったかもしれない。
難しいのは、腐の恥じらいと言うものは、それ自体が快楽のキーになってるという点。いや、恥じらいそのものじゃないな。今言ったように恥じらいにも色んな理由があった。ただ、ヘテロ規範を内面化してるからこそ持つ恥じらいもあった。「ホモが好きな自分ってどうよ」みたいな。で、難しいと思うのは、そのヘテロ規範が腐にとって美味しいスパイスであると言うことだ。


そもそも腐の中では、キャラクタ自身がホモフォビアを内面化してるのがイイとする価値感もあった(ある)。そして、ヘテロセクシズムを肯定し、その社会の中で異端であるホモちんがあらゆるホモフォビアを(部分的に)越えて相手の事を好きになる。その過程が好きなときもある。(「男同士なんていやだけど!」「お前じゃなきゃ男なんか抱くかよ!」「うそ〜男なのに欲情しちまったよー」)*1
そういうのは、ひとえにヘテロ規範を内面化してなきゃ享受できない快楽であるよね。腐は変態根性を持てても、その欲望のスパイスになるヘテロ規範は捨てないんじゃないかなぁ。ヘテロセクシズムだからこそホモフォビアを楽しめるし「ホモ」関係が美味しい。


・・・この欲望は、私の欲望とどこまで違うだろう。
私は、もしヘテロの欲望のほうが社会的に隠蔽されるようになったら、多分BLだけじゃなくティーンズあたりを好きになるかもしれない。
見えざる欲望を読み解き暴く(公然の秘密?)。その行為は実に甘いものなんだけど、これとヘテロ規範を持ってホモフォビアを楽しむこととは、どのように違うのかなぁ。

*1:しかし私がここで注意したいのは、必ずしもホモフォビアから受けと攻めが悩むとは限らないってこと。たとえば、「男に入れられて感じちゃってるぅ!こんなのイヤだぁ!」て言っちゃうのは、単純にホモフォビアと言うよりかは、ペニスによる男性性への侵犯という「男性性による苦悩」と云うほうが近いだろうと思う。複雑だよね。