中村中のアルバムのPOPが!!

今日さ、母と『あらしのよるに』の映画の感想話してたんだけど、したら母リンはラストの方を「あれはな、きっとふたりとも死んで天国で再会したってことだと思う・・・。」と仰いました。
あぁ、そうだったんですか?そいつぁシュール。きっと私は母の血を継いでいます。


ところでさ、こないだTUTAYA行ってCDレンタルしてきたのさ。したらね?中村中のアルバムも売れ筋のところに出てあったの。そいで、TUTAYAの店員の手書きポップもついてあったの。
「ワー売れてるのかなぁ。」とか思ってたんだけど、ところがね、そこに「男でも女でもなく」みたいなこと書かれてた・・・・。えー〜!?


いや、一瞬「蔦森樹か?!」と思ったけど、やっぱり中村中だった・・・。いやぁ、どういうつもりだったのか、TUTAYA店員の誰かさん。私1人びっくりしちゃってたよ。


えーと、どうして素直に女性を女性として見れないのでつか?ごくごく単純に考えて、女性を女性として扱わないのは失礼なのでは!と思うのですが。
自分を男性だと思ってるのに突然「君は女だね」とか「男ではないよ」とか言われたらなんか微妙だと思うんだけど。人によるけど、嫌な気持ちになる人も多いのではー?てか、人として失礼ではー。


なんかねもうね、どうしてこうもネイティブでないからと言って、ただそれだけの理由で人の性別を尊重する、ていうごくごく当たり前のことができなくなるんだろう。
ネイティブでなかったら「自分が思ってる性(別)ではない性(別)」として扱っていい、と思っちまってるのかね〜。やぁだねー、そういうの。
え?「性同一性障害をよく知らなかったから悪気はない」?「中村中のことを詳しく知らなくて誤解してたからしょうがない」?そんなの関係ないよ。そんなの当人からしたら、自分の性自認を尊重してもらえなかったことに変わりはないんだし。


知らなかったとしても、一体誰がどこで「中村中は男でも女でもない」と言ったんだよ。そうでも言ってなきゃあ、そんな文言つけるのあからさまに不自然じゃん。
結局は―ネイティブでないから性自認を尊重しなかった―という選択がそこにあったことになるんじゃん。自分で「私は男でも女でもない」なんて言っていないのに、「男でもない女でもない」者として扱って欲しいと一体誰が思うんだよ*1
ていうか世間の大多数が「女(男)に見えてたら女(男)」扱いするのが大抵なのに、どうして中村中に関してはそれをしなかったの?意味深〜。不思議でならないんですけど?
あと、もし性同一性障害だと知ってたんなら、尚更なんで性別に関してこんな文言つけるの?世間では何度も何度も「反対の性に、間違って生まれてきた」とか「心は女(男)」とか言われ続けてきたのに、それでも尚、性同一性障害の当事者の性自認を殊更に尊重しないのはなぜか分からないし。言い訳なんて通用しないよーだ。*2


結局さ、そのTUTAYAの店員は「ネイティブでなかったら男として扱わないし女として扱わないでいい。」みたいな差別的な意識があったんだよ。中村中のこと詳しく知らなくても、不用意に人の性別にこんな文言つけないよ、通常は。



しかしこれ、性別に関してはすっごく失礼極まりないことのように思えるよねー。
自分が思ってるものと思われないことなんて、誰にでも日常的にある事じゃん?それでも別にそんな大ダメージ受けることでもなければ、それほど失礼でもないと思えたりするって場合も多いじゃん?
でも、こと性別になると、性自認尊重しないのってすっごくダメージだしすっごく失礼な感じじゃん?それってきっと、世間で「性別」がやたら重視されてるってことなんだろうねー。
私は「男でも女でもなく」と言われると、ソッチの方がありがたいんだけどさ。いつか沢山時が過ぎて性別がそんなに重視されなくなったら、「男でも女でもなく」て言われても大抵の人がなんとも思わないようになったりするのかなぁ・・・。

*1:あ、私の場合おkっす。

*2:ただ、「男から女にトランスしたこと」を否定的に捉える必要は、私はないんじゃないかなぁと思う。トランスして女や男になっても、女だし、男じゃん。女とか男である事に貴賎はないぜ!要は、ネイティブであろうとなかろうと、相手の性自認を尊重しないのが失礼ってだけの話だし。非ネイティブである事を「隠さなければならない」ことにする必要は、必ずしもないんじゃないかなぁと思う。人によるよね。