ごめんなさい。難しく言い過ぎました。

下に二つエントリ書きましたが、


今から書く事だけ読んでくだされば十分です。*1


たとえばジェンフリと一緒で、希求する状態は男女平等なんだけど、そのための話術が問題になるってことなわけだが・・・。言葉は単に結果を作るための一戦略に過ぎないのかも。尊重しなければならないとするのも、結局はあらゆる性自認の人が平等に、不当な不利益を被らないようにするのが目的のはず。では、その方法論は以下のようなものとなるだろうか?

  • 男と女という免許を持ってなくても就職に困らず、公的書類に性別欄があるためサービスが受けられない状況を改革する。
  • ネイティブではない男と女が、ネイティブの男と女とは違う待遇を受けたりする差別を抑制し、時には必要であれば公権力から差別を禁止する対策を取る。

この両者は対立してませんね?上手く行けば、どっちも同時進行で執り行えることですよね?つまり性別二元制を支持していても、或いはジェンダーレスを支持しなくても、性別二元制からはみ出る人のフォローはできるということ。まずコレを確認。


では次。
性自認とは、男か女を自認するということ。男女のどちらかを選ぶのだから、性別二元制に依拠しており、そのアクションは性別二元制を支持している。*2
では、このように性別二元制を支持する概念である性自認を、絶対的に「尊重しなければならない」とすると、性別カテゴリは他のカテゴリよりも絶対的価値がある事になる。
だって、実際他のカテゴリでは、別に「尊重したほうがよい」という見解程度で足りている。性別に対するアイデンティファイだけを殊更に重視するならば、それは、性別カテゴリが他よりも特権的な価値を持つことになる。そうなると、性別カテゴリから外れる人は絶対的価値である性別カテゴリから外れるため、不利益を被るかもしれない。


果たしてそうした社会が、本当に戸籍等の性別欄を廃止してくれるような改革を許すだろうか?


性自認を尊重→性別を強化する。という側面もあると思う(だって性別だけを重要視し、他のカテゴリと差別化するわけだから。)。
しかし、問題はそこじゃない。性別と云う規範が強化されることで、男女ではない人が社会的に不利益をこうむることが問題。
白状しよう。仮に「尊重しなければならない」という言説ばかりがピックアップされたとしても、男女ではない人が不利益を被らない社会になるのであれば、いくらでも「しなければならない」と言っても別にいい
けれど、性別と云うカテゴリだけがそんなに重要視されると居心地悪い人もいるんだよね。だって、社会の中で性別だけがそんな重要視されちゃったなら、どうせ性別二元制から外れる人は社会的に排除されるって、多分。だって、それもひとつの(カテゴリとカテゴリ間の)不均衡だもの。


結果的に性別カテゴリも「どうでもいい」ものと言えるくらい、器量のある豊かな社会になれば、多分ジェンダーに関して弱者になる人はいなくなるんじゃないかなぁ。と思うのだけど・・・。


尊重した方がよい
尊重しなくてもいい
双方の意見、どっちがあってもよい。要は、それらの言説の効果と云うものを吟味する必要があるというだけ。言葉は単なる戦略だ。
ただ、どんな人だって社会的に保障さえしてくれれば、誰が何言ってても私的に無問題。それだけのことでした。(なにを長々と繰り返してるんだか・・・。ごめんなさい、コメントくださったお二方様・・・。)

*1:むしろ読まないでお願い・・・。

*2:性自認ジェンダーアイデンティティーだ。つまり、「大人・子供」なら、そのどちらかに自分をアイデンティファイするということ。「男女」と「大人子供」。これらをアイデンティファイするということで、「男女」「「大人子供」の定義は社会的に構築されていく。