「常識を疑え」と云うより「発想力を持て」?

腐で下品なブログなのに申し訳ないが久しぶりにトラバ・・・。(実は結構「グロい感じに腐なブログなのにトラバしても不快に思われないかな?」ていつも不安です。)

日本人なら誰しも
女の子なら必ず
男なら一度は

すべての○○は××である。
[・・・]
別にねえ、
すべての恋愛小説にセクシャルマイノリティを出すべきだとか
すべてのドラマにすべての障害者を出すべきだとか
すべての公共機関にはすべての言語で案内をのせるべきだとか
そんなことを言いたいわけじゃない。

日本人は概ね とか
女の子の多くは とか
ほとんどの男は とか

せめてそれだけでいい。
「そうじゃない人」が存在する余地を残してくれれば救われるのに。

http://melancholidea.seesaa.net/article/43510963.html

かーなり共感です。もうちょっと言い方をどうにかならんかチミら?とかよく思います。まあ、私も大概なんでしょうけどね。自分だけが指摘をする側ではないと、最近良く思います。


とーこーろーでー。
ハンター×ハンターのアニメを見ていたら、ワシのお気に入りクラピカさんが喋ってた。ハンター略は、念能力という超能力的なものを使って闘ったりする漫画です。http://www2.pure.cc/~gctc/jump/hunter/nen.html
念というのは、何も「霊ガン!」みたいな必殺技ばかりではなくて、気を使って色々な不思議な現象を起こしたり、魔法みたいなこともしちゃえるのですね。念能力者の各々は、自分の特性に合った自分だけのオリジナル念能力を作るのですね。念能力開発!そんな中でクラピカの念能力はこんなんです。↓

 念能力の中には他人にかける念というものが存在する。これらの能力は他人に何らかの制約を課し、条件を満たさないと解除することができない。

そしてこれがジャッジメントチェーン。標的の心臓にこの剣を刺してルールを宣告し、遵守させる。そのルールを破れば死。

クラピカはクロロ率いる旅団を全滅させようと企んだ上で、こういった自分の念能力を開発しました。
まあクラピカの事は、クロロって人に呪いをかけた!てくらいに理解してくれてたらいいです。しかし、クラピカのように念を呪いの様に人にかける能力があれば、一方には念を外す能力もあるのです。その能力者を漫画では除念師とか呼んでたと思います。

でね、グリードアイランド編の話なんですが、キルアていうクラピカの友達が、あるきっかけでクラピカの念が除念師によって解除されるかもしれないと気づくのです。で、「クラピカがクロロにかけた念が外されるかもしれない」みたいなことを電話で話すシーンがあるのです。そこで色々会話をするのですが、クラピカは、自分の念がもし外された場合は自分で気づく様にしている、とキルアに応えます。

 ちなみに能力者は念をかけた者の状況をある程度知ることができる。クラピカはジャッジメントチェーンが除念されればそれを察知でき

そこでキルアはクラピカに質問をします。「最初から自分の念が外されることを予想した上で『ジャッジメントチェーン』を開発したのか?」みたいな質問をするのです。(詳しくは覚えてない)*1
そこでクラピカはこう応えます。(うる覚え!

「人にかける念があるのだから、逆に外す念もあると考えるのは自然な発想だと思うが?」

とまぁ、頭の賢い出来すぎ君なクラピカはしらっとした顔でそう応えます。要するにキルアは念能力者の念が、一方的に「かける」だけのものだと思ってたが、実はそうではなく、様々な可能性が念にはある、ということがここらへんでわかるのね。

これで私思ったのですが、これって他の事にも同様に当てはめられることかもしれないと。
私が思いついたのはこれ。
「恋愛感情を持つ人もいるのだから、逆に持たない人もいると考えるのは自然な発想だと思うが?」
みたいな・・。
・・・・・・無理ありますか?ありますかね?まあ、あっても別にどうでもいいんだけど。でも、『恋愛感情』というものも、「持つ/持たない」という分け方ができますよね*2。念も一部的に見れば「かける/外す」という分け方ができる。そういう点で、ちょっと似てると思ったのです。他にも代入可能な事柄はあると思います。


何が言いたいかっていうと、発想の転換をしてみたら、常識や思い込みも、ころっと逆転されたりするってこと。
とかく私たちはある事柄に関しては「○○は皆が皆〜〜だ」と思い込む傾向がある。
「人間には恋愛感情が皆にある」とか「男には女への愛が皆にある」とか、「○○は〜〜を持ってて当然だし、それが自然」みたいな意識があるんだよね。もちろんそれなりの人数はそれが誤りであることを、ある程度の知識で知っていると思う。なんだけど、やっぱり常識で物事を捉える場合には、そういう知識は零れ落ちてしまうことも多いかと思う。

でもそれってある意味ではどうしょうもないって部分もあると思う。
私たちはある程度の簡略化された情報の中で生きているし、(たとえある側面においては少数派の人であろうと、)そういう「常識的」な考え方にのっとって行動する。そのほうが効率がいいからだ。
私たちは、経験上蓄えた情報を利用した上で物事を捉え、そして行動に移す。その中で、「常識」という情報を私たちは得る。そういう情報を活かして効率よく行動していくのは、賢い選択だと思う。

けれど、「常識」とは常に正しいわけでもないし、常識だけが全ての実体を語っているわけではない。
私はセクマイの位置に立つので*3、そこらへんの違和感は常々感じていますが、その常識をどうしたらイイのだろう?とか思います。(男に生まれたからって男と自認して生きるわけじゃないし、男に生まれたからって常に女だけを欲望するとも限らないよー的)
けど、「常識を疑え!」と言ってみても、どの常識は疑ってどの常識は疑わなくていいのか、というのを、いつも考えるわけにもいかない。時間の余裕も思考する余裕もそんなにあるとは限らないものね。誰かに指摘されてから常識が絶対ではないことを知ることも非常に有意義だけれど、えてしてそういう指摘をくれる人、指摘を貰う機会は少ないものだ。

だったら、もうちょっと発想力とか想像力を高めるといいのかもしれない、と思う。
「念は人にかけるもの」というのが、果たして念能力者の中の常識かどうかは知らないが、除念師は非常に稀少な能力者だという。そういう少ない能力に対して無知なとき、キルアの中では念は「かけるもの」でしかなかったかもしれない。
けれど、クラピカは、念を覚えてさほど年月を経てもいないのに(除念師の存在に遭遇したわけでもないのに)、「念をかける能力があるなら、外す能力もあるはずだ」と簡単に答えを導き出した。

私自身どの常識がどのように問題なのかは、わからない。けれど、常識を呪っても仕方がない。
もしか常識から外れる情報を貰う機会に恵まれなかったら、私は偏った情報(常識とか)だけを『自然』と捉えるかもしれないのだ。

じゃあ、発想の転換とかを出来る頭を持てたら、たとえ機会に恵まれなくても、偏った情報だけを自然と思い込むことも少なくなるんじゃないか?と思う。*4
たとえば、『男』で考えて「男は性的に主体的だ。それが自然なのだ」と思う人も居るかもしれないが*5、その『男』を『主体/客体』で考え直してみれば、「主体的な人もいれば、そうでない人も居る、と考えるのが自然だ」と思う人もいるってわけだ。
そういう発想の力をちょびっとでも持てたら、常識や思い込みに囚われず、少しばかりは少数派にも多数派にもフェアな立ち居地(と考え方)を保てられるのかもしれない・・・。などと思った次第です。
あなあなかしこ。

*1:漫画は兄に持っていかれたので手元にない。

*2:まあ中には「恋愛感情は人にプログラミングされて<ある>ものだ」と考える困ったチャンも居るかもしれませんが、「じゃあ子供にも全員<ある>の?」と聞いてみたら「子供はいつか目覚めるんだよ」とか言われるかもしれません。そしたらしめたもの。「じゃあ時間軸で見れば、実質的には<現在は持ってない>人もいるって解釈できるよね?」とか言ってかく乱させちゃえ!

*3:立たされてる感満々なんですが

*4:そもそも常識を自然と捉えること自体、ちょっと嫌な感じなのですがー。

*5:←確かにそういう男性が多いのかもしれない。それを常識と捉える人も多いかもしれない。