先のエントリでついたコメント返し。

皆さんこんばんは。後ほど新たなエントリを立ち上げますので、詳しいことは皆様にそちらの方をご拝読いただければと思います。

では、一応コメントの返事をば。
lolitamarippeさんにはまたこの後に書くエントリの方でお返事します。

  • go-magicianさんへ

当ブログへようこそいらっしゃいました。ゴウさんとお呼びしていいでしょうか。私のほうもそちら様のブログ読んでます。ところで本当に体験談が漫画化されたのですか?読んでみたいけど近所でDariaが売ってなくて悲しいです。(おっと脱線)

lolitamarippeさんは女性的な文章を書かれる方だと思いました。

それは女性全体に対して失礼でしょう。私が仮に女性だったらこんなこと書くのが「女性的だ」とか思われたくない。

僕の考えでは、(中略)ミソジナスになりえる理由はいくつもあるし、そのためゲイの方に誰しもミソジナスな部分はあるんだと思います。

だからlolitamarippeさんの言ってることは合っています。

実はこのコメントに答えてる最中気づいたことがあります。
では、ここで重要なことを言います。
私は先のエントリとそのコメントで「ゲイにミソジニーはあるか」と「ゲイの多数はミソジナスか」と「ゲイという集団は他集団に比べミソジナスな傾向が強いか」という問いを混同させる文章を書いてしまいました。
そしてそれらの問いは微妙にそれぞれ意味が異なりはするものの、定義と基準をはっきりと示さないと混同されてしまい(違いがわからなくなり)、そうなるともはやまともな議論が一つもできないことになる…と今更気付きました。
「ミソジナスである」という性質をどのようなものとして定義付け、更に「ミソジナスである」ことを何らかの意味で数値化・言語化して比較調査可能な特徴として位置づけなければ、これらの問いは永遠の混乱をもたらす…。*1


なので、一旦整理をいたしましょう。
私は今から、「ゲイにミソジニーはあるか」という問いに答えてみようと思います。
では、私のミソジニーに対する前提を改めて言わせて貰うけど、私はそもそも「ミソジニーを一切内面化していない集団はこの社会*2にはおそらくいない」と思っています。いや、もうちょっと言わせてもらえれば、そもそもミソジニーというものは社会的なものですよね。ですから、「ミソジナスである」という性質は、社会的な集団であるのならおのずと関わってくるものだと考えていいはず。というか、ミソジナスでないことの証明は可能性の否定にあたり、それは大変難しいのではないか、と考える。それが私の前提です。
では、そうなると、もはや「ゲイはミソジナスか」という問いの意味は消失します。
なぜか。それはふたつある。
ひとつ目は、私たちは実際にミソジナスなゲイにもう出会ってるのだから、ゲイとて「ミソジナスである」と認めざるを得ない、ということ。「ゲイはミソジナスか」という問いは、一個でも証拠が見つかればもはや証明されている事になる。それはもちろん、あまり情報のエントロピーとしては重大ではないが、しかし事実でもあり、答えに値する。これはどの集団に対しても言える事だ。*3
ふとつ目は、この前提を受け入れるなら、わざわざゲイという集団だけを抽出して言及する必要はどこにもなく、ゲイという集団もこの社会を構成している一つの要素でしかないのだから(他の集団とは異なる宇宙人のような存在ではないのだから)、ゲイとて「ミソジナスである」と認めざるをえない、ということ。そして、「ゲイ」“は”「ミソジナスである」という問いはあたかも「ゲイだけがミソジナスだ」とか「ゲイ以外になら、ミソジナスでない集団もある」という印象を与えるが、しかし、そもそも「ミソジナスである」という性質は社会的な集団にとって否定できない(あるいは否定することが困難な)要素ではなかったのか…?


このふたつの議論では「レズビアンはミソジナスである」ということを認めざるをえないのと同じだし、「既婚者はミソジナスである」や「セレ部はミソジナスである」ということとも同じ。
仮にミソジナスでない集団がいるとして、それは赤ん坊にでもなるのか?では、どのような集団だけが「ミソジナスである/ない」と断定できるのか?
ここまでくるともはや何が何かわからなくなるが、少なくともこう言えると思う。
「この社会でミソジナスでない集団などいない」という前提を持った場合の「ゲイはミソジナスである」という言及は、たとえば「感情の無い人間などいない」という前提を持った場合の「ゲイは感情がある」ということと同じことではないのか。
つまり、それは何も言っていない事と等しいのではないか。


しかし、その「ミソジナスである」という性質を持つという条件は、どの社会的集団においても同等であったとしても、たとえば「ミソジナスな態度の表れ方」や「ミソジニーに囚われている度合い」などがあると仮定してしまえば、各集団においても何らかの差異があると考えられるかもしれない。(しかし、この場合、この二つの要素のどちらに関しても、明確に基準と定義付けを設けなければ論理的ではないはず。後述)
その場合において、私たちの「ゲイという集団は他集団よりもミソジナスなのではないか?」という主観的な疑問が意味を成す*4

どういうことか。まず先に書いたように、私の前提を受け入れるなら、どの集団も「ミソジナスである」。なのだから、ここで問題となるのは「よりも」という比較級の論点だ。
そして、その場合においては「表れ方」や「度合い」というものをある程度規則的に言語化・数値化等(?)してみないと「よりも」という比較調査はできないはず。逆をいえば、それらを言語化・数値化すれば、今回上がった問いは意味を成すのではないか。よって、社会科学系(の比較調査)という限定的な分野であるディシプリン*5において、「ミソジナスである」態度(つまり「表れ方」「度合い」)の数値化言語化等を仮定的に行う必要が出てくる。
そして、それをしなければ「よりも」という類の問いは、単なる空論というか、単なる主観的な印象論などになってしまう。
そのことを防ぐためには、まず比較調査をする前に、「ミソジニー」を比較対象のテキストとして扱うべく、「表れ方」「度合い」という共有可能な数値・言語として具体的に捉えなおし、表記しなければならないと思う。そう、それらの定義付けと基準の設け(とその共有)は、「よりも」ということを議論する上で必須である。と思うのだけど、どうだろう。


では、結論。
今まで散々「ゲイは〜〜」と言ってきましたが、話している事の前提をある程度共有しないままでは、議論をしてもひたすらに齟齬を生むだけで生産性がない。
よって、仮に(そして本気で真剣に)「ゲイの多数はミソジナスか」と「ゲイという集団は他集団よりもミソジナスか」という問いを議論するつもりなら、まず言及してる「ミソジニー」というもの、つまりは「ミソジナスである」こと、「度合い」「表れ方」を、どういうものであるか定義と基準を共有しなくてはならない。少なくとも、齟齬を埋める相互的な努力が必要になってくると思う。


もちろん、私たちはミソジニーミソジニーである事を知っている。だが、実証的なデータに基づかず、いたずらに印象論を語ってしまえばそれは無益なヘイトスピーチになるだけではないか。そしてそれは比較級のレベルである問いに、本当の意味で答えたことにはならないのではないか。


私は先のエントリで書きましたが、私にとってわかることはせいぜい「女性蔑視は女性蔑視である」ということだけなのです。そして、残念なことに、lolitamarippeさんの問いに答える(前提を共有し、議論する)コストも負えない。
ですので、今回の議論においては、あくまで、彼女のロジック批判*6と彼女のゲイへの「語り方」の批判*7が私の論点である事をここに明記させていただきます。
このことは是非とも、読者様にもご理解いただきたい。


あと、論点がずれるからあまり言いたくはないけれど、以下のコメントに答え(?)ます。

ゲイの方には、女が苦手でゲイになったとか女より男の方が素晴らしいと思ったから男を選んだとか、好きな男が異性愛者だとか、ミソジナスになりえる理由はいくつもあるし

コレ自体あまりオフィシャルな場で言いたくはないのだけど確かにそういうゲイがいても不思議はない。けれど、(1)「女が苦手」=「ミソジナス」だとも、(2)「女より男のをほうが素晴らしいと思う」=「ミソジナス」だとも、(3)「好きな男がヘテロで自分に振り向かせづらいいので、その相手に限って言えば女より恋愛成就が難しい*8」=「ミソジナス」だとも言い切れない様な気がします。だって、その根拠がよくわかりませんもの。ただ、それぞれの要素がどのようにミソジニーと関わってくるのか、は私にもよくわかりませんので、間違っているとは言いませんが。

そしてlolitamarippeの文章を読んだ誰もが「確かに!」と感じるし、本質の部分には納得している

「誰もが」はちょっと言い過ぎです。そして、何度も言うように、私はあくまで「本質」については論じていない(というか、そのつもりでした。曖昧な書き方をしてスイマセンでした)。

あと、「正論」と仰ってる部分の内容ですが、すいません、ちょっと読解力がないのでコメントできません。

言い方が少々キツいと感じました。対人でこの言い方だと、相手はきっとショックを受けるでしょう。

そうですか…(´・ω・`)  このことも後ほど書きますが、

おそらくそんな反発も見越して受け止める覚悟で、nodadaさんは書いているのですよね。

という点はもちろんそのとおりです。はい。

「ミソジナスはゲイの人々に有り、個々で多少はあるが平均を取ればストレートより上の値で、しかしそれを客観的に統計を取るのは難しいと思う派」

うん、統計を取るという作業がどれほどの労力が要るのか具体的なことは私にはわかりませんが、その労力を負担しない人がヘイトスピーチを(自らが望むか否かを問わず)行ってしまい、結果偏見を煽る形になっている意見にまでは、さすがに同意できません。
どのような実感をお持ちになるのもご自由ですし、それを語ることにも私は一定の範囲内で許容できますし、実際にしていますよね。そして、私はそれに対して一々否定はしない。だって否定する材料がないんですもん。…ただ、「そのロジックはおかしい」と言える場合は、ある。
ゴウさんは「平均を取ればおそらくゲイがヘテロよりも上の値だ」と実感を語りますが、私にその論拠を示してはおられません。…いいえ、私は事実を問いたいわけではないんです。そこは問題にしていない。そうではなく、こうしたオフィシャルな場での発言で論拠を示さずに、不特定多数の読み手に「ああ、そうか。この人の実感は科学的に実証済みの事実を指しているんだな」と印象付けることが問題であり、それにより得られる効果でゲイにとって不当な不利益があってはならない、と私はおもっているのです。


先に申し上げたとおり、色んな前提を共有したり、議論や調査に必要なベースを築く必要がある。そして、その調査で得られた値に対する客観的でディシプリンにそった論理展開*9によりはじめてその問いに答えが得られることになる。それが科学的な実証というものではないでしょうか?
そうではないのなら、有益性のない(どころか暴力的な)ヘイトスピーチにしかならないと思います。なぜなら、そういう科学的に実証されてはいない議論では、誰もが信頼のできる値を使った上での「なぜ事実が〜〜なのか?このことに関してジェンダー論やLGスタディーズなどの学問はどう対処・批評すべきか?」といった建設的で実際的な議論がおそらくできないのですから。


ただいたずらに特定の集団に対して大した根拠もなしに言いっ放しになる…。へたをすれば偏見を煽って不当な不利益を被らせる。本人に自覚があろうとなかろうと、それは問題のある態度(行為)だと思うのです。
私が読者様に考えていただきたかった一番の点は、そういう危険性や暴力性だった。どうぞ、余裕のある範囲で構いませんので、その点をご配慮いただけたらと思います。

長くなりました。コメントありがとうございました。それでは。

  • Shigさんへ

はじめまして、当ブログへようこそいらっしゃいました。

lolitamarippeさんの私への揶揄というか言いがかりは非常に困ってマース。先生ー、ボスケテー。

あと、二丁目に行く人達って、Gayの中でも少数派じゃないかな。

どうなんでしょうかね。もちろん、憶測で断言はできないとは思うのですが、私もこの点に興味がある。このことに関する信頼のできる調査をご存知でしたら誰か教えてほしいです。

コメントありがとうございました。それでは。

  • さきをさんへ

はじめまして。当ブログへようこそいらっしゃいました。たしか、みやきちさんの掲示板でもコミュニティに視野を向けての言及をなさってましたねー。

ただ、その一方でgo-magicianさんが述べている「ミソジナスはゲイの人々に有り、個々で多少はあるが平均を取ればストレートより上の値で、しかしそれを客観的に統計を取るのは難しいと思う」にも説得力を感じます。

はい、そうですか。さきをさんの実感はわかりました。

その原因は「ゲイの人々」ではなくて「日本社会においてゲイやビアンが強いられている行動様式」にあるのではないでしょうか。つまりゲイであることが問題なんじゃない。

ふぅむ、その可能性を視点に考えるのも(論じるのも)おかしくないとは思います。原因を探る、というのは先ほどから申し上げている科学的な実証されたデータに基づいて行われる実際的な議論ですよね(それこそが大事なのではないでしょうか)。というか考えられない可能性って逆にイメージするのがちょっと難しいかも…w(どうすりゃいいの…
でも、「ゲイであることが問題じゃない」のは大前提として強く同意。つーか、あったりまえじゃぁ〜ん! だって、「ゲイとはミソジニーである」と言ってるに等しいもん、それ。でも、ということは、それって「こんにゃくとは優しさである」と同じ意味でしょうか?


今回の議論で私が思うのは、いかにしてゲイからミソジニーを切り離すか、という点です。いや、ゲイだけに限らないな…。論じるべき点はそこにもあると思う。
コメントありがとうございました。それでは。

*1:ただ、今回においてそれでも変わらないことがひとつあります。私は「ゲイにミソジニーはない」とも「ゲイの多数派はミソジナスではない(逆もしかり)」とも言っていないんです。その点は少なくとも変わっていないはずです。

*2:ちなみにこの社会とは日本に限らない。

*3:ただそれは、偶然選出されたたった一人のゲイに対する事実でしかない。よって、ここで導き出されることの情報は「ゲイの中にだってミソジニーはあるんだな」という答え以上のものでも以下のものでもない。そこらへん誤解しないように。

*4:もちろんそこでは同時に「ゲイの多数はミソジナスか」という主観的な疑問も意味を成す。が、読者様に判りやすく読んでいただくために、比較的私の論旨を理解しやすい方の例(「他集団よりもミソジナスか」)を提示することとします。ただし、なぜ「多数はミソジナスか」という疑問が意味を成すのかを説明すると、この問いはそもそもゲイという集団の内部を<多数派><少数派>に分ける議論である。この場合において、多数派と少数派の間には「ミソジナスな度合い」と言うべき物が存在すると仮定されている。よって、この問いもまた、「度合い」があると仮定することで意味を成すのだ。あと、「他集団よりもミソジナスか」という議論はそれとは違って、「度合い」を含め「表れ方」を仮定する議論だと私は解釈している。

*5:ディシプリンが限定的なものを指してるのは当然なんだけど、社会科学(の比較調査)という分野があくまで限定的なフィールドであることを意識してほしかったのでこのような表現を用いることにする。

*6:主観的な材料で恣意的に特定の集団を意味づけるロジックへの批判

*7:偏見を煽ることの暴力性を看過して行うヘイトスピーチの是非

*8:←と仰いたいんですよね?

*9:彼女は論理として破綻してるし、論理的な解釈だとは到底思えない。