馴染みの方にコメント。『ミソジニー』について。

ブログ更新をしばらく控えようと思ってたのですが、コメントを期待なさってたのに私がスルーしてたらしいので、とりあえずコメントさせていただきます。(本当はあまり首突っ込まない方がいいテーマだとも思うけども)

http://d.hatena.ne.jp/kayoco/20070807/1186474619
えーと、伏見憲明著書のスーパーラヴ!―ゲイだから見える恋愛テク (ノン・ポシェット)という本で、「結婚願望で固まっている女の子をだまして婚約」したゲイが紹介されてるらしいのです。(私は読んだことないです)

で、kayocoさんは、この本を読んでゲイに対して偏見を持った、ということでした。「だから、ゲイが女と仲良く友達になれる、というのをおめでたい話として信じていなかった」、と仰るんですね。

…うーん、でも、別にこれは私がコメントするまでもなく、ただ「でもソレって偏見だよね」てだけの話だと思います。*1
ていうか、典型的な偏見によるアクシデントでございますわね。。。

で、あちらのエントリの米欄で大変困ったことを仰ってるのがid:lolitamarippeさんなんだけど。その方が言うにはゲイは女性蔑視する方が多いんだとか…。

マスコミが作りあげたゲイのイメージと、実際のゲイとでは違うんですよね。前者のイメージは、ゲイはおしゃれで女性的な感性を持っていて、女性には優しい。あぁ〜、真っ赤なウソです。そっちのほうが少数派で、多数派のリアルゲイは女嫌いの女性蔑視、バリバリ男権主義だったりする。それこそどこかの某都知事みたいな人が意外にいます。
この伏見という方は一見ソフト路線ですが、彼の信条を分析すると、やっぱり彼は男らしいと思いました。

はい、困りましたねー。いい加減なコメントを寄せた方にはきちんとその根拠を提示していただきましょうか?一体どこの誰がどれだけ女嫌いで男権主義*2だというのか、その根拠は?

そりゃあね、メディアで取り扱われる対象と実際生活を送る対象が全て合致するイメージを持つとは限らないのは当然ですけどね?そんなのはマスコミュニケーションの性質としてわかってたことでしょ?「編集する」という行為にはそうしたズレはつきものだし。*3
それで、もし、lolitamarippeさんの仰る内容が、信頼できる調査での結果ではなく、単なる個人的な体感でしたら「個人的な印象ですが」、と前置きをお願いします。


て・い・う・か・ねv
kayocoさんは私の事を女性に優しい「マスコミの作り上げたイメージのゲイ」だと思ってるらしいのだけれど、はっきり言って私にだって女性蔑視な感性はなくはないですよ。
けれど、今の日本で女性蔑視を一切しない人なんていないんじゃないですか?
何度かこのブログでも言わせてもらってることですが、ホモフォビアを一切内面化してない人なんて、(少なくとも)この日本にいるかと言えば、いないと私は思ってるわけですよ。ミソジニー(女性蔑視)だって同じ。そんでですね、そこにある差異というものは、女性蔑視の比較的な強さ(?)や露骨さみたいなものでしょう?*4
そうした中で、私という人間が(たとえば)この日本内で、“より”女性蔑視の感性が強いのかどうか…(露骨かどうか?)。それは正直自分じゃわからない…。
せいぜい私にわかるのは、女性蔑視は女性蔑視だ、という事実だけ。


というわけで、私は、誰が“より”女性蔑視の感性が強いか、などという不毛な話に興味はありません。
ていうか、そういう話って、大概が、いずれかの集団を差別的に貶めるための口実に使われるのが落ちだし。そんなものに与する気はない。(なるべく避けたいと思って一応は気をつけてるつもり)


確かに、いずれかの集団で女性蔑視がひどいかどうかというのは、調べるに値する事柄なのかもしれない(自信ないけど)。女性蔑視がどのような集団においてどのようにして機能してるのか…。それを調べようと試みる作業は無意味とまでは言えないような気がする。女性蔑視が著しく表出する集団を分析することで女性蔑視とは何なのかを探り、そしてそれを手掛かりに、社会的に問題となった女性蔑視を解体しようとするのなら、それはそれで「いいんじゃない?」と思います。
けれど基本的に大事なことは、女性蔑視によって生まれる被害にどう対処していくべきか、という社会的な問題意識なんじゃないのかな?と私は思ってるわけです(そしてそのための実際のアクション)。何も「女性蔑視する人は悪だからこてんぱんに打ちのめそう」とか思ってるわけじゃないでしょ?誰も。 争うことが前提ではないはず。更に言えば、著しい女性蔑視をする人を、ウォーリーを探せよろしく探し出してモグラ叩きすることでもないはず。


それならば、無力な私ですがせめて自分の中の女性蔑視な感性に少しは(余力がある分には)向き合おう、とは思います。でも、「誰それが“より”『女性蔑視な人』なんだよー」とか、そういうことに頓着したくはないんですよ、正直。そんな話してどれだけ実りがあるのかもわからないし…。



つーか、ですよ。
そりゃあ女嫌いのゲイがいても不思議はないですよ。女嫌いな女がいてもおかしくないのと同じ。
でもね、だからって全ての人が徹底した女嫌いなわけでもないし、たとえ女嫌いな人であっても、その人と全ての女の人とが健全なコミュニケーションを一切もてないというわけでもない。
マルッと本音を言わせてもらえれば、私は、仮にゲイが総じて女嫌いだとしても、そうじゃないとしても、どっちであってもそれは問題じゃないんですよ。女性蔑視がうぜぇと思うときは思うし(思わないときは思わないし)、誰が女性蔑視しようとも、私は私だし?

で、仮にゲイが女嫌いで著しく女性蔑視をする集団だったとして、「だから」と言って私とのコミュニケーションを排除しようとする女性がいたら、それは困るし悲しいのよ。迷惑なのよ、はっきり言って。(ていうか私ゲイじゃないんですけどね。まあ多少はどう思われてもいいんですけども…)


もし私がゲイだと見なされることで女性から「ゲイは著しく女性蔑視で怖いからあっち行って!」と言われたら差別なわけですよね。もちろんゲイを嫌うこととゲイを排除することには距離があるよ?

それはそれとして。


あのさ、“どの”環境において誰が(どの集団が)より女性蔑視がひどいのか、なんて、一概に言い切れない部分があると思う。そして、“どの”環境を切り取って語るのか、つまり、“どの”環境を切り取ることでどの集団を『女性蔑視な人』に位置づけるか、ということ自体、その語り手の「編集」なわけですよね。その編集にさえ、語る上でのバイアスを生む(偏見を煽る)危険性は常にあるわけよね?
そうした複雑さを無自覚に、軽やかに無視して、特定の集団の偏見を煽るのは、いい加減やめて。


では、私に言える事を端的にいいます。
たとえ100人のゲイの内99人が女嫌いだとしてもよ? 残りの一人からすれば、勝手に「あいつは女嫌いだ」と評価されるのは不当なわけよ。そんなことで女性とのコミュニケーションを阻害されたら、いわれのない差別を受けたとして、ゲイへの偏見で苦しむことになるわけよ。そういう偏見*5で不利益を被られるいわれなんてないんですよ。


だから、頼むから、自分の個人的な対象への偏見で、「○○は〜〜だから△△しよう」とかいう論理には走らないでね。以上。

*1:たとえば、特定の国の人に対して、「あの国の人は怠けてる人が多いから責任のある職に就けるべきではない」と言ったとする。けれど、仮に怠けた人がその国に多かったとしても、当然、そういう人ばかりだとはかぎらない。つまり、それは平均であって、個人差はあるわけ。それにもかかわらず、その国の人全てを「怠け者」と見なすのは、やっぱり偏見なわけだよね。

*2:て何なのかよくわかってないけど汗

*3:問題は、その表現にある、抑圧・暴力性への抑止とフォローでしょうねー。

*4:たとえ女性蔑視を内面化していても、それを露骨に表すか否かは、その人の人格によるところが大きいでしょう?で、おそらく表に出さない人は、『女性蔑視な人』だとは評価されない。

*5:かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。偏見(へんけん)の意味 - goo国語辞書