三十路ナス、完結編!(にしたいな!)

今回起こしたミソジニ〜(味噌死に〜)の議論ですが、さすがにあそこまでくどくどねちねち書けば、皆様にも私の論旨をご理解いただけたかと思います。


ということで、一応今回で一まとめにさせていただきたいです。
纏め方としては一応はシンプルにしたい。そうですね、27日についたブクマに対するコメントと、まだしていなかったlolitamarippeさんのコメントに対するお返事で締めくくろうかと思う。


まずブクマへ。

2007年08月29日 rocoroco3310 セクシュアリティ, ミソジニー ゲイのミソジニストが仮にヘテロより多かったとして、ではそのことの背景には何があるのかを論じなければ、単にゲイは差別主義者だと言う事を言い散らして終わりになるだけ。有用性のないヘイトスピーチだ。

ここにこそ今回の重要な論点がつまってるのではないでしょうか?少なくとも私はここを論点にしていました。完結に美しく表現してくださったrocoroco3310さんに感謝。


けれど、ただ一点引っかかりを申し上げさせていただくとするならこの部分が私にはちょっと疑問。

仮にヘテロより多かったとして

私は一度だってヘテロを基準に今までの議論を行った覚えはないのだけど、コメント欄でもなぜかヘテロとの比較を意識する読者様が現れた。
しかし私には、そこでなぜわざわざ限定してヘテロと比較する理由があったのか、本当によくわからない。*1

まあそこはとりあえずスルーしておこう。



とにかく、私が問いたかったのはlolitamarippeさんの論理の妥当性と、そして(rocoroco3310さんの仰るような)「有用性のないヘイトスピーチ」に加担するような「語り方」の是非だ。


そして、生産性のある議論をしようと思ったら、lolitamarippeさんには以下の点についてご自身がどう思われているのかを聞いてみないことには始まらない。
その点は二点ある。


おさらいするけれど、私は、 lolitamarippeさんの「語り方」は、有りか無しかと問えば、無しだと思っている。理由は既に述べた。lolitamarippeさんはその「語り方」の暴力性・危険性に対して何らかのフォローをする意思はおありか?と問いたい。そのことがまず一点目。


そして、私は先日のコメント返しで明確に「ゲイにミソジニーはある」と認めた。ただしそれは、ミソジニーを一切内面化していない社会的集団などこの社会にはいないという前提に立っている。このことを踏まえてもらわないと困るが、いかがか?このことが二点目。
蛇足:ただし、私はこの前提に立つのだから、原則としてlolitamarippeさんの「ゲイの多数派はミソジナスだ」という主張にはYESともNOとも言えない。その理由も既に、先日の時点で述べた。


で、この場合、彼女と私に(少なくとも)表面上では共有してる認識は「ゲイにミソジニーはある」という点だ。この点に着目したい。
よって、先の二点の問いに答えてもらった上で、共通している認識を手掛かりに何か生産性のある議論に繋がるような有用なコメントを求めたい。
そして、そこから得られたコメントによって、「ではどういう議論をしていくべきか」を対話していけたらよいと思っている。


ちなみに、私はホモフォビアへの見方対処を考えたことがある上で、ミソジニーへの見方対処というものが非常に扱い難いものだと認識している。
ホモフォビアで言えば、「ホモフォビアに反対」ではなく「性差別・同性愛差別に反対」でいいのではないかという意見もある。(<この意見に対する私の答えもまだ保留中)
だから、私にはミソジニーを考える上で、物分りのいい答えを提示することは難しい。
そのことを踏まえた上で、議論をしていけたらと思っている。たとえば先のコメントでクィアコミュニティ内でのレズビアンとゲイの隔絶という議論が提示されたけど*2、「ゲイとレズビアンが仲良く連帯できるよう努力するにはどうしようね?」という方向等で論じられたらいいのではないかな、と思うんだけど。どうかしら?
よろしく。

コメント返し。

では、次に、彼女が残していた27日付のコメントに答えて見たい。

何か理論とか根拠とか言って、現実の人間社会が感じてしまっていることから逃げてしまっている。こういうことをしていると、自分で自分のクビを絞めているのと同じであり、ネット上でゲイリブを展開している人の大きな落とし穴です。
くさいものを見たくない気持ちはわかりますが、そこから目を背けて、理論武装しても、結局は自己満足の世界に終わるだけだけど。あなたがそれでいいとおっしゃっているので、私はその点についてはもう言及しません。

余計ですが、トラバまでしてとんでもないことを言うヤツがいると、idまで日記に貼ってしまえば、当然そうされた人間は毒舌を撒きにきますので、ブログの運営にはご注意を。
そういう場合はある人間がこんなことを言っていると書くことにとどめたほうがいいと思いますよ。

やっぱり女に痛いことを言われてムッとしたのかな。女に嫌悪感や蔑視感があるのならば、女のブログにトラバは貼らないほうが得策です。本当にヤバイ人いますからねw

えーと、大きく分けて3点。それぞれに答えます。

  1. 「現実の人間社会が感じてしまっていることから逃げてしまっている」と仰ってるけれど、いつ私が誰の実感から逃げたというのか説明していただかなくてはわからない。だって私は、繰り返し「あなたの主張する事実の是非は問うていない」ことを伝えている。つまり、私はlolitamarippeさんの実感を一度だって否定したつもりはないですよ。しかし、「統計的に」と仰る割には統計的でも論理的でもなく、自分の実感を、この私や他の誰にでもわかるようには教えてくださらない。その点、逃げてらっしゃるのはlolitamarippeさんではないのか。「くさいものを見たくない気持ちはわかりますが、そこから目を背けて、理論武装しても、結局は自己満足の世界に終わるだけだけ」とも仰るけれど、これも私にとって不当な評価で不満。だって私は、何もあなたの提示する実感を否定していないと書いているし。否定してもいないのに「くさいものにふた」もなにもない。ただ私は、あなたの根拠だけではその実感は事実とは言えそうにもないから、あなたの主張を前提に対話することは実質不可能だと思っている。確かに私は「「誰それが“より”『女性蔑視な人』なんだよー」とか、そういうことに頓着したくはない」と言っている。けれどそれだって理由はあるのよ。確証もないのにあたかもそのデータが信頼できる事実として扱ったまま議論して、実際の問題の本質に関われるとでも思っているの?誤ったデータを用いて議論すればどこかでそのひずみが出てくるだろうけれど、それに私が参加しないからといって「くさいものにふた」だの「逃げてる」だの言われても対処に困ります。
  1. あなたはなんだか私のブログ運営にけちをつけたいみたいだけど、毒舌をまくのはあなたの勝手であり自分で責任を負うべき自分自身のアクションでしょ?ていうかブログで批判されたくらいで脅されたらこっちもたまらない。まあ、毒舌撒く程度なら別にいいけど、あまりひどかったらコメント拒否するんでよろしく。あと、蛇足だけど、私だったらid記法を使う選択肢もあるというのに、まったく当事者不在で人の発言勝手に引用してくだまかれたりでもしたら、そっちの方が我慢ならないけどなぁ…。まあ、あなたがそういうやり方を拒否したいらしいので、尊重して今回もトラバは送らないけどさ。
  1. 「やっぱり女に痛いことを言われてムッとしたのかな。」というのは正に意味不明。一体どこをどう読めば私の文章が「女に言われて不快がってる文章」だと断定できるのか。そういうのは単なる「あなたはきっと〜〜だから○○するんだ!」ていう主観的で素朴な想像ですけど、想像でものを言われたらちょっと困ります。ていうかね、私今回「言い方がきつい」らしいのだけど、それは単に、本来の私の地を当社比1割増で表しただけなのだけど。まあね?今回の議論はkayocoさんのエントリで始まっているのですけど、過去形ではあるもののかつては偏見のせいでゲイに不信感を持っていた女性に対して、新たに不信感を植え込むような不用意なコメントを寄せたことに対して憤りを覚えているの。だから、そういう意味でなら私はlolitamarippeさんにムキになってはいるかもしれないけれど、それが何?


あと、頼むから私が述べている主張がなんであるのかがわからないからって、同じことを何度も言わせたりしないでね。
私の書き方も不味かったと認めるので、一概に相手を読解力がないと評価はできないのだけど、正直ここまで語って何も汲み取ってもらえなかったら、私にはもうお手上げ。


以上。

*1:否定してるんじゃなくてそうする必要があるのかどうか本当に本当にわからないと言ってるのね。確かにセクシュアリティの問題であるなら、セクシュアリティの差異に着目した形で比較するべき。けれど、今回もそうだったのかというのは私には疑問。「ゲイはゲイでない者と比べ」ではいけなかったのだろうか…?[そうでない女性に比べ 調査 - Google 検索]うーん、どっちがより妥当だろう。私、数学の時間にたっぷり睡眠をとっていたのでよくわかりません。

*2:とは言え、そこでどの程度ミソジニーが関わってくるか/いるのか、は未知数だ。よって、ここでも「ゲイにもミソジニーはある」という単純な前提で議論するべきだと私は考えている。