もう本当に何が言いたいのかさっぱり・・・。

最近「複雑な事情が絡んでるが故にある程度仕方がないんだろうなと思いつつも、これは声を大にして言いたい」という事があるんだけども、それと言うのも
政治の話をしているのになんで生物学の話や歴史の話してんだよ!
という・・・もの、で、ごわす。

たとえば同性婚の話でも、「結婚」という社会システムをいかに構築していくべきかと言う非常に政治的な問題に対して、いちいちわざわざご丁寧に「同性愛は90年にWHOの精神疾患リストから外されて病気じゃなくなったからどうのこうの」とか「性的指向だからどうのこうの」とか言い出す人がやたら多ーーい!!*1
いや、まあそれは<同性愛>に対する概念的問題であり、故に社会的政治的な問題と常に関わってるんだけども(だからこそ同性婚に対してもこの話題が出て来る訳だし。)、それとこのような社会構造の問題を一緒に議論させちゃいけないでしょっつー気持ちがどうしてもあるのよね。*2
あのさー、<同性愛>及び同性愛者がどんなもんであろうとなかろうと、結婚制度をジェンダーレス化させるか否かは議論出来るでしょ。じゃあ逆に聞いてみるならば、同性愛者の本質や辿った歴史の如何によっては、同性愛者及び同性間パートナーシップを持つ人々が雇用面や各種サービス・社会制度にアクセス出来ない差別的現状を温存すべきと言う結論が導き出されるとでも?
ていうか、なんでわざわざそこで同性愛概念及び歴史の話に行くかって言うと、同性婚=同性愛者のための結婚制度ってイメージがあるからだろうけど、いやいや、それも事実ではあるけれど、同性愛者がいるからこそ差別問題として提起されてる訳だけどもよ、それと生物学の話ってどれだけ関係あんのよ???どうでもええやん、別に。*3
それこそ、同性愛者の生活がどう保障されていくべきか、と言う議論は、彼らの本質など関係なく、非差別的に正当性をもって考え取り組むべき問題じゃない?たとえば、差別禁止法を作るだとか、扶養控除をジェンダーレス化させるかだとか。そういうのって、彼らが生まれつきであるか病気であるかが重要じゃないじゃない。社会がどう作られていくべきかをプラグマティックに議論するのであって、彼らの脳や歴史(衆道がどうのこうの、とかね。)を調べたり議論する話ではないはずよ。まあ、同性愛者に限らずだけどもさ。


ていうか、同性愛が罪か否かとか、生まれつきか否か、変態か否か、ってそれ抜きで同性間パートナーシップの政治の議論が出来ないとか、かなりお粗末。かなりアホ臭い。
いや、そうならざるを得ないのも感情では理解できる。社会変革なんかも、国民感情・・・果ては俗情と繋がるものだからねぇ。でもさー? 政治を政治の話として構造的に議論する土台すら出来ていない現状って言うのは、やっぱり情けないとしか言いようがない。
仕方がなかろうが、情けないもんは情けない。
もう、あらゆる性の問題で、いちいちクィアの生物学的本質を問わないと話が進められない私達こそ、一体なんの強迫観念に迫られているのやら・・・。生物学が気になって仕方がないシンドローム
もうえーって、ホンマ。
政治の話しましょってーの。

*1:しかも、同性婚に限らず、たまに同性愛者が自分の人生を語った場合でも全く同様の話が出てきてやたらうざーい!!

*2:ていうか欧米等(ってどこだソレって感じですけど。)の同性婚議論では、アンチゲイレズビアンの保守派が戦略的にそういう議題を持ち上げて大衆に反対を呼びかけているように感じるのだけどー?彼らの戦略にはまっちゃってないかー??

*3:根本的に、結婚制度全体に関わる話なのに、なんで「同性愛者」「だけ」の話に矮小化されていくのか・・・。「夫婦」というジェンダーの立ち位置にも関与するのだから、当然異性愛者並びに両性愛者を含む既婚者にも関係あるくないですか?カリフォルニアの件でも報道されたように、彼らの婚姻届にはどちらが「夫婦」かという欄はない。つまり、社会認知されるパートナーシップとはかくあるべし、という根源的な問題に関わっている、と私は思うのだけど。