前回の事なんだけど。

薄情者の私は普段から「おめでとう」という言葉を機械的に使っていたので分からなかったけど、なるほど、これはいろんな意味を込めて言える言葉なんだなぁ・・・。
前回書かなかったけど、私は「結婚おめでとう」と言う時、自分の言葉が結婚にまつわるイデオロギーに回収されてゆく事に抵抗がある。「結婚おめでとう」がいつのまにか「いづれ人は異性と結婚すべきだ」だとか「結婚できない人は負け狗だ」だとか、そういうメッセージとして受け止められる事は、私にとっては望まぬ事・・・。だからやっぱり結婚などの文脈では使いづらい言葉なのだけど、一方でそうしたメッセージに縛られず自分なりの思いを込めて祝いの言葉を送ると言う事も可能なことを、考えさせられました。それは実行困難な面もあるだろうけれど、たとえば人生を祭り事と捉える人みたいに、些細な事にしろ何にしろひとつひとつの人生の変化をただ喜び祝うというのもアリだよな、などと思う。だからそう、結婚の他にも子供を貰ったり産んだり(産んでもらったり)する事も人生の変化だろう。人生を祝う、と言う意味ではどの「おめでとう」も「おめでとう」だよね。しかし、同じメッセージでもない。「人は子孫を残すべき」という言葉ではない、祝いの言葉があるのは当然だものねー。
そんな訳で、おめでとうございまーす。