BL使って私的且つ割りと政治的な活動してますんで大目に見やがれコンチクショー。

いい加減、以前頂いた(のに何故か届いてない…ごめんなさい)TBにレスポンスしたいのだけど、今のモチベーションでテキトーに書きたくないので保留させていただきます…。でも必ず書きます。
ちょっと長文になるからハイクじゃなくこっちで書く。

最近ある友達にBLを貸しまくってる(腐教)。一度に1〜30冊は貸してるので本当に大量なのだ。が、最近あまりに本があふれた自室の悲惨っぷりに絶望して掃除&本整理をしたのだけど、そのせいでもはや本を詰めるスペースがなくなってしまい、「これ以上本が増えたらどうしようか」と迷ってるところで以前貸した本の返却分がご帰還なさったのでもうどうしろと、て感じになった。
それはそれとして。その友達にBLしこたま貸してそのしこたま量を返されたときに、感想を求めたの。次回の貸し出しも気に入ってもらえるように、何が面白くて何がツボなのかリサーチ!!(ちなみに彼女はヤマシタトモコが大のお気に入り。受けの好みは若干似てるのにやっぱり違いが出るな…。
で、その内の一冊に対する感想で彼女は「全体にリアリティがあって面白かったのだけど、その割りにノン気の攻めが同性愛に対して抵抗が薄くて、そこだけがリアリティに欠けてて浮いていた」と言っていた。

私はそこで「でも思うけど、世の中にはそういう人って案外多いんじゃないかな。異性愛中心主義でどうしても世間からは不可視化されるけど、BLはそういう隠蔽された異性愛者のホモセクシュアリティに触れている文化じゃないかな」と言っておいた。そこでは異性愛主義のみならず、モノセクシュアルの「男か女か」のこだわりにも話が及んで、性的対象が男女どちらかであるべきって規範についても色々語る機会をもてたんだけどね。
どこまで伝わったかは分からないけれど、彼女は私の話に真摯に耳を傾けてくれて、セクシュアリティにおける一部のイズムに関心をもってくれたようだ。

でもね?それ以前に、私が具体的に批判していなかったにもかかわらず、彼女が私の前で「男同士に抵抗ないBLは最低だー」的なことを言わなかったことが、今思うとちょっとうれしかったかも。いや、上での言葉はソレに近いものがあるけれどさ?ともあれ(所謂「ボーダレス」なセックス観を否定することで同性愛や非モノセクシュアルをも否定するような)ダイレクトな否定的言説はしなかったのですよ。
なんと言うのか。異性愛規範による「男同士であることの葛藤*1を描いた物語」を嗜好する人は自由にしてくれればいいと思うのだけど(無批判に受け入れはしないけどね)、よりにもよって私の前で私の友達が「男同士の葛藤があるBLって素晴らしいよねー」とか「男同士なんだからそこには葛藤があって然るべき」とかは言わないでほしいのよ、さすがに。
無意識なんだろうけど恥ずかしげもなく私の欲望を目の前で否定する友達(?)っているのだけど、あのー、私の尊厳はどこにいくのー?みたいな。いや、そういうの他人に求めても無駄らしいから自分でなんとかするしいいんだけどさ。でも彼女はもしかしたらそこらへん(my尊厳)を気遣って「葛藤がないのはおかしい」ではなく「リアリティがない」という表現を選択したのかもしれない、と思ってさ。もちろんその言葉ですら嫌だったので「でもBLって…」と続けさせてもらったけどね。なんにせよ、少しは変化がありそうだと感じた。


私は以前「もはや友達に(自分の尊厳を守る手助けを)期待していない」と書いたけどさ、BLを通してカレ彼女らの異性愛主義に対する異議申し立てを少しだけやっていたりもする。変化があったらちょっとうれしいなーって。
↑という自己弁論で「だから私は自分で一切努力する前に一方的にすべてを諦めて嘆いてるだけの厨じゃないですよー」と言い訳して置きます。
って、別に自分の環境かえる努力もしないで投げ出してウジウジしてもいいじゃねーか。
何でか知らねーけど悲嘆に暮れたり一人で絶望したり壁をよじ登ろうとしない人を世間は叩きたがるんだよなー(ジコセキニン論者とか含めて)。だってそうする方が自分にとって(無駄になるかもしれない努力するよりも)合理的なんだから仕方ないじゃん。ウザいんだよ、自分が頑張れるからって他人にまで努力を押し付けるなよ。努力の結果幸せになれる人は「良かったね」とは思うけど、それはあくまでひとつのケースに過ぎないわけで、それを理由にオーディエンス(に回った人々)が努力をしない奴を叩くのって、どうしても納得がいかない。つーか私は根暗なんだよ、悪いか。文句がある奴はせめて私が努力をしないほうが合理的である構造を批判してから来やがれ。そしたら話だけは聞いてやるよ。

*1:って「葛藤」じゃなくて、単なるホモフォビア異性愛主義じゃねーのか?って前から思ってるのだけど、どうよ?