頭ぐるり。

なんだろう・・・。頭の調子が宜しくない。(いつも通り。)
都知事腐女子批判の反応もいまいちな内容で、言いたい事がうまく表現できなかった。流行とか、人間性の落差から生まれた存在だ的発想は、本来の腐女子を根っこから勘違いした捉え方だと伝えなきゃなのに、時代背景が間違ってるーみたいなことをいいたかったわけではない。

ソレと同じで同性愛差別に対しても鈍い反応しか出来ない・・・。


で、私はアイデンティティーの問題上「ゲイ」に自分を同一視できないが、実質(外から見れば)男性同性愛者だが。


私の発想とはすこし世間外れなのだ。というか、世間知らず。
私は「コレは違う」と感じていても、何がどう違うのか分からない。その違和感を表す語彙も見当たらないし探れない。自分視点しか前提に出来ない。どうしたことか・・・。


同性愛差別に愚鈍なのは、多分今までの行いのせいだと思う。差別されて当たり前。人権問題?その発想もなかった。自虐のため消費されるだけだった差別。それをウマウマと食らっていたツケだろうね(心オナニー)。


そして、同時にわからんのよ。私は自分感覚でしか世界を捉えられないから、突飛な発想かまされても何を言ってるのか本当に分からない。
定番の差別発言を受けても、私は実はその意図をきちんと受け止められてはいないのだろう。一応選択されている語彙から「こんな意味かな?」と解釈するが、その発言の中にある差別意識・前提条件としてる価値観を、私は最初から想定していないから相手が一体どういう意図からそれを言ってるのかわからない。


だいたい、差別的発言とは突拍子もないものなのだ。普通に中立的客観的に見れば意味プーなことを言ってようが、それが世論だから世間では通用してしまう。でも、私はそんなわけのわからんテキストとして説明不十分且つ破綻した論理を理解するなど不可能なのだ。論理的に破綻してる価値観を理解しろと言うのが無茶。

でもそれをあえて頭の中に再構築して、その価値観が他の視点からどう映りどうおかしいのか客観的に批判できないと差別的態度発言に立ち向かえない。
それが私の口惜しさなのだ。


頭の宜しい方は、ちゃぁんと中立的視点と客観的視野における自分の価値観を持っておられる。それにより、世間という絶対性と立ち向かえるのだ。

しかし、私にはその視点が不足していないだろうか。
決定的にコレは損失だ。


だって、ソレがないといくら「ソレっておかしくない?私からはこういう感じ方しかないから分からないよ。」と私の価値観を提示しても、相手からすれば(私同様)「意味プーなこと」としか感じられないのだ。つまり相手との通話が不能状態になってる。共通認識のない上での価値観の提示では意図のやり取りがないから、合意が得られない永遠の状態が続く。コミュニケーション不全だー。


それならいっそ突拍子のない側の差別的価値観に触れてみようか?いや、それもかなわん。
私は自分という唯一絶対の価値観を保持してこそ私でいられる。そんな脆弱な価値観しか作れなかったのも手落ちだが、いかんせん共感し易過ぎる。

例えば、 完璧にホモフォビアのない人間 はいない。いたとすればそれは世俗から隔離された存在だろう。
そして、その理由から私は、ひとたび差別スキーの側の価値観に共鳴してしまえば一気に奈落の底に落ちるような気がするのだ。ソレが一等コアイ。

どうすればいいだろう。アホな人に立ち向かうために一旦一緒にアホになるのも嫌だし、かと言ってこのまま自分の価値観だけでは対応できないし。
つまりここは言語に頼るべきなのだ。要は自分内以外のモノをツールとして持ち込めば、私の中に新たな価値観をダウンロードしなくても「否定への批判」は可能となるだろう。
例えば、リブで使い古されたフレーズを武器として使う、とか。学者の使う○学的視点をつぎはぎで引用するとか(←あんまりオススメしない)。


このように自分外からツールを持ってくることである程度の対応は可能。そしてその言葉を使って立ち向かったときやっとこさ見えてくる相手側の差別意識が、どのような価値観で成り立っているのかわかるようにもなる。

ちょっと遠回りダケド、そんなこんなでゆったりペース。
はっきり言ってまだるっこしい。


他の人達はどうしてるだろう。頭のいい人の対策伝授してください。(だからソレが無理なんだって。)