ところで気づいたこと。

今日図書館へ行ってわかったこと。

  • 自宅の近くの図書館は、盛況なのかどうか微妙だということ。
  • 図書館で本を読むとなぜか私は具合を悪くするということ。
  • 割り込んでくる女性には、綾波レイ幼児版のあの名台詞を言ってやりたくなること。


はぁ、世知辛い。

というか、やっぱり都会の図書館でないとあんまりないねー。

で、今日すさまじく眠いのにブログ書いて、本もちょそちょそ読んでたわけだが。
トランスジェンダー・フェミニズムを途中まで読んでるんだけど、なんだか読む気が・・・。

まだ半分も読んでないんだけど。なんというか、これが世に言うトランスジェンダリズムと言うのか?(そういや正にこのタイトルの本は図書館になかった!買えと?)
これも時代と共に変わりまくる思想なのだろうケド、ちょっとこの方の視点には強みが薄いような・・・。


まあ、まず。
普段、通り過ぎる人達をあなたはどんな目で見るだろう?、と問うて。「30代位の女の人で・・・・・・・」とまず性別で判断するのでは?とはじめの項で仰ってるんだが。・・・それってまず性別じゃなく、年齢で答えてるじゃんwてゆうあほな突っ込みはさておいて。

結構基本的なトランスジェンダーとしての生活だとか運動において感じたことを書かれてるんですが。専門的用語に毎度毎度そのページの端に注釈を入れてくれるのが親切です。でもちょっと私には刺激ないなー今のところ。
でも、自身に影響を与えた性別越境者の1人として、MtFTXゲイのKENNさんを紹介なさってるんですが。
あ、そうなの?て思った。あー、そうね、やっぱいるよね。MtFでゲイ。
よかったー。いや、私も心当たりあるので。今まで知らなかったよ、そういう感じで自己規定できる名前があるなんて。案外名前って助かるよな。やっぱりあるならあるでこしたことはないってわけか。
ちなみに
TXは男女どちらでもない性別として生きる道を選んだトランスジェンダー、なんだって。
まあ私のは名前つけるほど大層なアレではないんですが。(て大層なセクシャリティてナニって感じですが。)先人がいるってことで保障された感がやっぱりあります。


で、基本のところはさすがわかっておいでです。
でもどこか・・・TGの有り方と、他のセクシャリティの有り方をとりわけ違うものだとし、TGだからこそ見出せる部分があるとのことです。ですが、ジェンダーの効果に抵抗を示すこと自体はTGだけにある特徴ではないですし、TGの性のグラデーション*1を表すのは確かにTGであるだろうし、先駆的役割を果たすだろうケド、特権ではないので。
結局、性別二元制に反抗しうるのはTGだけ、みたいな理由でトランスジェンダーフェミニズムを打ち出してるように見えるんですが。一個一個見たらば、重複する部分もあるのではないかなーとも思います*2
それに他のセクシャリティにも戸籍等の性別欄を削除したりする理由はあるだろうし。「個」で生きようとするのはクィアだけではないし・・・・。というなんか他のなにかを批判しつつTGだとかクィアを支持するのですが、そうではなく、TGという立場が生み出すリアリティを盾にするとかTGだからこそ「性別」に対する発言に具体的な効果を生み出す力があるとかそういう路線だったら素敵だと思いますが。でもどこか他のコミュニティの田中氏自身の絶望だとか見えてて・・・それだとせっかくのTG視点も危ういかなぁと思う。杞憂だといいけど。
まあでもTGじゃなくても重複して訴えられるところも他のセクシャリティにだってあるって認識があれば充分か・・・。
でも、それぞれのセクシャリティの差異をどう捉えてらっしゃるのか・・・なんか不安を感じる。

トランスジェンダーを基点に、ではなく、トランスジェンダーの立場でフェミニズムにマイノリティ視線をもたらす、て感じならいいのかなぁ・・・。とか思ったり。
まあ全部読んでないから評価できないけどw

*1:と言うのも意味がよく分からないんだけど

*2:勿論その中にもそれぞれの特徴ある固有の痛みが分立してるんだろうけども。