明日への伏線

今日は明日への複線のため重要なことを書いていきたいです。
というのは、私の主張として以前から、セクシャリティ概念は私達の性をかならずしも説明できてはいない!ということがあります。
つまり性が結局包括的に説明されうる画一的でないことをお話して行きます。


そう、ココで重要なのは、「性欲の中の軸」という考え方なのです。
私達は相変わらずなんでも「男」「女」で考えがちです。
性欲の方向性は「男女どちらに向かうか」こそが重要視されている。
しかし違うのです。
私達の持つ性とは、つまり人間と言う種の持つ性とは、男女と言う二元制に因るものではないのです。
必ずしも男女どちらかに向かうかと云う、
ホモセクシュアルヘテロセクシュアルバイセクシュアル
といった「性的指向」ばかりが重要であるとは限らない。


それはフェティシズムから見ても分かるように、私達の性とは、その方向性をジェンダーー的なものに回収されると約束された性質のものではないのです。*1


今回、より本質的であるところの性への理解のため、また今更当然過ぎることを語って行きたいと思います。
そう、それは、「軸による性」という考え方です。

*1:そもそも、方向性がある、などと考えること自体が性への固定観念の現れである。