「性欲望の中の軸」という考え方。

アイデンティティー【identity】
「あいでんてぃてぃー」を大辞林でも検索する

1 自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。「―の喪失」

yahoo辞書引用。

(わかっておいでの方にはくどいでしょうか?)

今日はセクシュアルアイデンティティーを持つことを説明します。



最初に、くどいでしょうが、セクシュアリティを「持つ」ことをお話させていただきます。(素人だけど!)

セクシュアリティアイデンティティー(同一視するもの)であるということ。


たとえば、私は以前自分の事を「ゲイ」だと思ってました。しかし、事実は違います。
私は確かに社会的に男性であるし、男性として生きてます。
肉体も男性です。しかし、これを私は「オスである」と普段書き表します。なぜかと云うと、肉体が典型的オス(セックス)であるからと言って、男性(ジェンダー)として生きるわけでもないから。なにより、肉体がオスであるからと言って、私という人格そのものが「男性」をアイデンティファイするとは限らないからです。どういうことかというと、別に、男性でないからと言って、オスの肉体を否定するとは限らないし、ましてや女性であることを選択するとも限らないということ。つまり、私はジェンダーを必要としないのです。(更にいうと、別に外見がオスである必要性もあまりない。)
ですので、私は男性同性愛者であることを選択できないのです。厳密に言いと、選択する理由がない。


そう、実は私は男性同性愛者であると言う意味の「ゲイセクシュアル」に自分を規定できないのですね。ま、最近気づいたことですけどねw
では、事実と違うのになぜ私がチョット前まで「ゲイセクシュアル」を選択していたかと言うと、それは  セクシュアリティとは脅迫的に担わされるものだ  という誤解を持っていたからです。
しかし、私自身がゲイに親和性が高いからと言って、自分の有様を確実に説明し得ないセクシュアリティを選択する必要はあったでしょうか?いえ、ありません。


私も昔こそは、「社会的に男性であり尚且つ男性を欲望するのだから、自分はゲイだ!」と思い込んでましたが、そんな無理な選択をする理由など本来ないのです。
だって、私達は私達のあり方を自分の意思で(!)選択してもよいからです。他者に「お前は男性でありながら男性を欲望するのだからゲイだろ!?」と言われても、自分が背負おうと思わないのなら、結局ゲイでもなんでもないのは当たり前でしょ?


ヘテロセクシュアルと云うセクシャリティがあります。
セクシュアルアイデンティティーという言葉があります。
そう、「自分はヘテロだ!」と思う事は、つまり“自我(自分)”と“名称(ヘテロ)”とが同一のものであると認識することです。
詳しくは辞書、wikiなどを参照ください。
ならば、他人に「ヘテロに見える」のが重要ではなく、自分が「ヘテロである」と認識する事が重要なのです。


自分がいくら異性(或いは同性等)に性的指向が向かっていても、肝心の自分が自称しなかったり自我同一性を持っていないとしたら、それはアイデンティティーではないですよね。
それは、他のいまだ名称のない性の形がある事を知れば容易に分かります。


たとえばデブ専
デブ専デブ専であるにもかかわらず、無理やりヘテロセクかホモセクかの選択を強いられる。しかし、このデブ専の人がデブであるものを指向するとき、相手の性別にはなんの頓着もしないとしましょう。そのとき、このデブ専の人はバイセクシャルだと言われるかもしれません。しかし、間違ってはいけません。デブ専デブ専であり、「デブであることが重要なこと」であると同時に「両性に欲望が向かうことが重要なのではない」ということです。デブであるという軸がこのデブ専にとって、重要なのであれば、結局人でなくてもよいかもしれません。デブければ(恰幅がよければ)、必ずしも人でなくてもよいかもしれません。コミックのなかのキャラでもよいかもしれません。*1もしかしたらデブという軸を持ってして欲望した時、男性女性でもなく、動物や他のなにかにいくかもしれない。(男性でもなく女性でもなく、単に所謂サードジェンダーにいくという可能性もある。)


このデブという軸を持ってして性的エネルギーを放出(?)する時、そこに「性的指向」などと言う概念ははなっから通用しないかもしれないのです。
どういうことか?
それは単に、「その者に重要であったのはジェンダーでもヒト科かどうかでもなく、ただただデブ的であるかどうか、という一点に限られるのだ」ということ。
このような性について、性的指向というセクシュアリティ概念で説明が出来ようか?いえ、できない。

もしこのデブ専の人が、男性女性ともセックスしたらその人は「バイセクシュアル」と呼ばれるでしょう。
もしこのデブ専の人が、人でないものに欲望したらその人は「フェティシズム」と呼ばれるでしょう。
・・・・一体この人のセクシャリティはどれなんでしょう?
「どれともいえない」としか言えない。・・・それが事実です。


或いは男女どちらでもない人とセックスしたら?もっともこれはデブ専に限らず、私の知りうる限り、どのような名称もあてがわれてないと思われます。*2



そう、セクシャリティー概念は私達の性の全貌を語りつくせてない。
ならばどうして、そんな不備なものに自分の自我とを同一視しなければならないか?
する必要などありません。
説明できてないというのなら、所詮「あえて○○である。」としか言いようがないのです。


ある意味、アイデンティティーとはそういう限界のあるものでしかいられない。


その事実を踏まえると、私達は結局妥当するしかない。そう、誰しもが。
「わ、私はヘテロセクシュアルが妥当かな?」「ぼ、僕はかろうじてバイセクシュアル?」みたいな、自分の親和性の高いものを「選ぶ」しかないのです。


だってそうでしょ?
たとえば、非アセクの方などは、おそらく「バイセクシュアルの可能性」を秘めてる可能性がどうしても残る。
そうしたとき、私達はどれだけ自分の現在のセクシュアルアイデンティティーが絶対であるといえるか?
それは妥当かどうか、と云う話のほうに近いのでは?
ゲイ男性もビアン女性もヘテロ女性やヘテロ男性も、皆「バイセクシュアルの可能性」を否定できない。*3
どうしても固定できない。そういう宿命的部分がある。


勿論、生得的な要素で一元的にしか欲望出来ない人も居るかもしれない。
そもそも、どの程度を「欲望したかしなかったか」の定義とするか、という問題である。どこからどこまでを「欲望した」と判断するかはまた別の次元であやふやだ。
(まあしかし、バイセクシュアルの可能性は存外多くの人に内包されているだろうが、あまり意識されてないのが現状だと思う。)



では、より本質的な性を説明するとき、私達はどのように表現すればよいか?
私なんかは偶然タイピングも出来て発声することも出来てと、その表現の幅は割と多いほうだ。だったら、口でいちいち説明すればそれがより事実に近い性の表現となるのではないだろうか?
結論として言えば、私達は結局、作文や図解説や口頭といった言語による詳しい記述形式でしか、本質的な自己の性を説明しきれないのではないか。と思う。
長々と説明することくらいでしか、私達はその実体が伝わらない・・・というジレンマを持たざるを得ない。


よって、アイデンティティーというものそれ自体が、実は不安定で不確実で、絶対的に自分を説明しきれると約束されたものではないのだ。



だからこそ、ここで、あえて再構築をオススメしたい。


それは何かと云うと、軸による自己分析だ。


さあ、例示は既にしている。
・・・・・・・あなたの軸はなんですか?
デブを欲望することですか?
ヤセを欲望することですか?
男性ジェンダーを欲望することですか?
女性ジェンダーを欲望することですか?
非対称性を欲望することですか?
同均質性を欲望することですか?
はたまた他の軸が重要ですか?



軸の立つ位置も人によれば、その数や重要度の程度も変わるでしょう。しかし、それぞれが別の事項で成り立ち、ひとつひとつがなんとか分離的に説明してくれ、自己の性を再構築してくれるかもしれません。・・・まあ、ただ分離できて再確認のようなことができただけかもしれませんが。
ですが、ただ、軸を一個一個確かめることで、確実に自分の中の性の全体性が明らかになる事でしょう。
いえ、もしかしたら、より複雑さを増し、混乱するかもしれません。
でも、そうであったなら、結局その迷い自体があなたの性の本質でもあると言えませんか?どうでしょうか?結論は正に百人いれば百通りかもしれません。


私達は、必ずしもセクシュアルアイデンティティーに説明されうるものとは限りません。
ですから、私がここで示したいことはひとつです。



私達は単純じゃない。


ということ。単純じゃないに尽きるとは思わないですか?

これの確認を取りたかったのです、今回。


それだけのことですが、まあ前提を再度見捉え直すことは、私のテーマでもあるので、今回長々と説明させていただきました。



素人見解ですが!!!



学者が見れば笑うのでしょうね、こういうの。たはは・・・、はは。
いいもん、ノダダ強いもん。


以上、明日への伏線でした。(って、一個だけじゃ足りない!!)

*1:そういえば、ある社会学者が、オタクを取って、「2次元の中のキャラクタを欲望することは確かに現実の存在(たとえばセーラー服の女子高生等)を通しているのだから、結局現実の方に手が出ないだけで本当は2次元を欲望してるわけではない」みたいなこと言ってたように思うが。アレは結局その学者自身の主観的結論であり、事実とは異なる場合がある可能性も指摘されるべきだろう。

*2:所謂サードジェンダーのある地域ではどういう区分をしてるのでしょうね?

*3:ええい!なぜヘテロセクシュアルに限って性別を特定できる名称でないんだ!なんか煩わしいw!!