セクシャリティでの対話。


ご飯を食ったので本題。(ちなみに五目御飯。そして餃子。・・・合わないよ、ママン。モグモグ!)


思うこと・2 - 「ざれごと寝言大事なこと」日記#2

時期的に多分私のところのブログをお読みになられたんだと思うのです。そう勝手に判断して、トラックバックされてもないエントリーにトラックバックをします。違ってたらすいません。
(ごめんなさい、けど私にとって重要だったので扱わせていただきます。あと、読者様に他にもブロガーの方おられたら、もし宜しければどんどんトラバなりなんなりでご利用くださいね*無理ない程度にこちらのブログをよろしくお願いいたしますー^^ノシ)


では、これは私のところの10日のエントリーに言及されてることを前提に語っていきます。


まず最初に言わせて貰うと、私、実は
>自分を異性愛者であることを表現するときに「ノーマル」という言葉を使わずに、「ヘテロ」ということばを使って欲しい
とは言ってないんですね。

どうしてかって言うと、私は10日付エントリーで「私は同性愛者です」と言ってる人に対して(あるいは同性愛に言及してる際に)、「私はノーマルです」という表現をすることの不適切を批判してたからです。


自分の事を「ヘテロです」と言え!!ではなく、
自分の事を「ノーマルです」と云うのは不適切だ!!と言ったのです。


まあ、似たようなことに思えるでしょうが、ちょと違うのね。(無論、トラバを送らずにいらっしゃったのだから解釈をどのようにされても特に問題はないと思います。それは全然構わないし、「間違ってるよ!」と言いたい訳では全くなくて^^)


それで、結局最初の時点で言わせて貰うと。
別に無理をしてまで「ヘテロセクシュアル」の看板を背負わなくてもいいです。
ヘテロに違和感を持つのなら、或いはそのセクシュアリティを自称しづらいのならしなくてもよいのです。
アイデンティファイしていないのであればアイデンティティーではないし、もっと言えば・・・、
言いたくなければ言わなくてもよい。と私は思う。*1


セクシュアルアイデンティティーは絶対のものではないし、セクシュアリティ概念自体そんなに頼りにならないのよね。そんな不備だらけのものに、特に利用価値を感じられないなら、背負わなくてもよいと思うのです。
(セクシュアルアイデンティティーに興味のある人は、私の考えを書いた昨日の伏線エントリーをお読みください。)



問題なのは、というか、私が最も言いたかったことは、こういうこと。
「私はノーマル/ストレートだけど」と言う表現の害悪そのもの。

セクシュアルアイデンティティーの話をしてるのに、「自分はノーマル」と言って、本題を回避することの害を批判したかったのです。
そう、ノーマルなどと言うは、話を逸らしてる事になるのです。


10日に言ったように、ノーマルなどというセクシュアリティは存在しません。
セクシュアリティに「正常例である」かどうかの『評価』は(仮に)出来たとしても、ノーマルなどと云うセクシュアルアイデンティティーなど確立し得ないのです。


そして、それだのに「自分はノーマルだ」等といったらどうなるか?
まず、第一に意味が分かりません。
「僕ゲイ〜」「あちきビアン〜」「おいどんバイセク〜」と言ってる内にひとりだけ「拙者ノーマル〜」て言ったらもうワケわかんないでしょ?
え?「のーまる」ってセクシュアリティなんてあったっけ?(どうしよう、私勉強不足?!)・・・てなもん。



セクシュアリティの話をしてるのに、自分だけセクシュアリティがないように振舞うのは不適切です。
いえ、厳密に言うと、序列化の効果を持つ語彙でセクシュアリティと対峙する事が不適切。


そう、「ノーマル・ストレート」というのは、結局セクシュアルマジョリティが「自分達ばかりは無徴・無標である」、という態度を示すに他ならないわけです。無標の意味は有標を知れば早いですが、

lion と lioness では後者が雌ライオンしか意味しないので有標。drake と duck で は前者が雄鴨にしか使われないので有標。有徴。

(yahoo辞書)

と云うことですよね?知ってる人にはくどくてすいません。


では、セクシュアリティに無標などあるか?いいえ、ありません。
なぜなら、セクシュアリティそのものが相対化されている用語だから。それぞれに有意な差異があるのですね。

自分の属性を、ある概念を通じて表現説明してるのに、ひとりだけ無標のように振舞うことは通じません。
「私は青いです」「私は白いです」「私は黒いです」と言ってるのにいきなり「私は普通です」は絶っ対通りません。
そういうこと。



そう、問題なのは自分を「ノーマル」と表現すること自体であり、更に相手との立ち居地を勘違いしてることにあるのです。
セクシュアリティを背負う者と並ぶには、不可避的にセクシュアリティに言及する必要を持つのです。(異論あればどうぞ。)
それをせず、ノーマルと言うなら、それはセクシュアリティと並ぶことが出来ていないことになるです。


ここで、話を限定させる事にしましょう。これからこのエントリーで私は同性愛者になります。
そして、私が「自分はゲイです」と言ったとしましょう。それを前提に話を進めていきます。


私が「ゲイです」という時に相手に「私はノーマルです」と言われたら私はどう思うか?
「・・・・え?ゲイはノーマルじゃないんだ。(つまり異常)」
となります。
これは私は許しません。一応もう一度確認を取るとこれはコミュニケーションについての話なのです。なのに、これではコミュニケーションをとってないばかりか、私は今、侮辱されたことになります。*2
折角スティグマ化されている「ゲイ」に(自己肯定を経て)アイデンティファイ(同一視)して相手にそのことをカムアウトしたのに、「私はノーマルです(あなたは異常です、私は違います。)」と言われたらもはや対等な対話が成り立ちません。何の為に話したのかも分かりません。自分の背負ったセクシュアリティと言うカテゴリー自体を無視されたのです。


というか、「ゲイです」とセクシュアリティに言及したのに、(マジョリティであるところの)自分だけは「ノーマル(無標)」であると言うのは、対話を成立させないし話を逸らして、セクシュアリティから逃げてるのです。


話題はセクシュアリティです。間違ってはいけません。
セクシュアリティを対峙させるのにセクシュアリティ以外での対峙など本来成り立たない。これが、第一義的な前提だと私は考えます。
「私はゲイです。あなたは?」「私は青です。」じゃ意味不明だし。
更に、
「私はゲイです。あなたは?」「私はノーマル(無標)です。」と言えば、それは相手を侮辱し、自分こそが正当なのだ!!と威嚇することに他ならない。
「私のような者以外はすべて異常なのだ!我こそが世界の正当なる支配者だ!!なんてw(←でもこんな意味に聞こえます、私。)」
と云う表現をセクシュアリティの話をしてるのにできる人がいるかしら。・・・いたら私はその人を批判したいです。(本意はそんなこと言いたいワケではない、という人が大多数だと私は信じてます。)


問題は、「ヘテロセクシュアルです」と言わない・言えないことではなく、「ノーマルだ」などと表現する事で、相手を排斥しようとしたり(してるのです)、相手の自尊心や自己肯定度を傷つける(してるのです)ことなのです。



セクシュアリティと対話するためにはセクシュアリティで対峙しなければならないのです。
対抗ではなく対峙です。戦ってるわけじゃないから。もっとも対峙もあまり平和的ニュアンスを持ちませんが・・・。(誰かこの場合のいい語彙知りませんか?)


だから、不適切だと言ってるのですね。簡単でそw?


じゃあ、結局どうしろって言うと、どうしろとも言えません。私、人に命令できませんもん。
ただ、ノーマル云々の態度を批判しただけなんですね。


つまり、「ヘテロ」と言いづらいのは知ってるけど、なにも言うに事欠いて「ノーマルです」なんて無体な言い方せんでもよかろうに・・・(´д`;ウェーン
て思っただけで・・・・。


ノーマルはどうしても「生殖を行わないヤツは異常」というニュアンスを孕みます。(断言します。)
そのような言葉を、なぜに同性愛について語っているときに使うのか?それは暗に同性愛を否定してることになるのです。不可避的にね(>_<;
なので、誰にも使ってもらいたくない。誰にも同性愛と言う生き方を否定して欲しくはないし、勿論他のセクシュアリティについても同様です。
(もっとも、生殖以外にも無礼なニュアンスを孕むので、ほとんどの対話の場合で不適切な表現となると思う。)


そう、コミュニケーションの最低限のお作法として10日付エントリーをお読みになられたらよいのではないかと思います。(僭越ながらそういうエントリーを書かせてもらいました。威圧的だったらすいません。)
きっと「僕は私はノーマル」と言った人は、なにも同性愛者を馬鹿にしたかったわけじゃないはずです。ですから、そんな自分の気持ちに反する言葉だけは使うの避けようYO!と思うのです〜。
他に言いようは一杯あるし!笑



で、「自分はヘテロ」と言いづらかったらどうかと云うと、あんまり恐がらないでいいんじゃないでしょうか?と思っちゃう。・・・。(だめ?)


どこかのだれかが「ヘテロ」を馬鹿にしてるってこともあるかもしれない。けど、はっきり言わせて貰うと、そんな揶揄くらい相手にする必要がないものもない。
くだらない揶揄に翻弄されて、名乗りたい名前を名乗れないのってばかばかしくないですか?
私も「うげぇ、なにこれ、ヘテロヘテロしてる〜。」て言っちゃうときがあるんだけど、でもそれ単なる隠語(?)ですし。(隠語の使い方間違ってる?ないよね?)


隠語の内容で「ヘテロセクシュアル」の看板がそこまで廃れたり汚されたりするって事、あんまりないと思うんですね。
んで、私もヘテロセクだけでなく、「うわぁ、これゲイゲイしい!!」て言うことあるけど、隠語は隠語ってくらいに判断してるのですが・・・。(ネタはネタってこと!!
本質を馬鹿にしてるのではなくて、単純にそれぞれの差異に見られる特徴をパターン化或いはパロディ化してるだけであって、それは「ヘテロ(orゲイ等)」を直接的に言及してるのとは少し異なりますから。少しだけだけど;

・・・これって実はいけないことだったかしら?どうかしら?


しかも、ヘテロの場合、ホモやレズ(或いは肯定的に使われてるはずのゲイも)などと違って背負う事のリスクはあまりないと思うんです。少なくとも社会的制度的なリスクは私には思いつかないんです。規範により制裁されたりなんてないでしょ?(あるならぜひお聞かせ願いたいです、よろしければ^^)


ごめんなさい、これは私がヘテロに距離があるから不感症なのかもしれない。どうなんでしょう?
しかも、百合業界という限られた場におられる方が受ける抑圧と言うのは、もしかしたら私が思うよりずっと抑圧的なものなのかもしれない。
はい、はっきり言って、「セクシュアリティを担うこと」自体すんごくストレスたまると思います。(人によりきだけど。)
ので、比較的に弱い圧力しかないからと言って「ヘテロセクシュアル」を背負うことが“楽チン”などとは決して言えない訳ですが。
それに、実際ゲイは重いからホモでいいやって言う方もおられたし、「重たい」という実感は誰にも否定できないな、と思う。


しかし、一体どういうことなのかしら。
・・・・・・・・。

誰か百合事情にお詳しい方にバトンタッチしたい!!
「どなたか!機内に百合事情に詳しい方いらっしゃいませんか?!」(byドラマの飛行機でよくある風景。)


(とりあえずココで終了。)


さぁ、もうちょっと深く見て行きましょうか?と言ってもこの時点である程度は言いたかったことをカバーしてるので充分だと思います。
このブログに興味関心のある人だけ進んでください。


言っちゃ何だけど、異性愛の比じゃないw


同性愛者と云う人がいます。同性愛と云う生き方があります。同性愛と言うアイデンティティーがあります。
(ちなみに、ホモセクシュアルは本来医学用語なので今回ゲイとビアンで分けますが、他意はないです。)

「ゲイセクシュアルアイデンティティー」を自称すると言うことはどういうことでしょうか?
言うまでもなく、「自分=ゲイ」だと認識することです。


さて、これはそんなに容易なことでしょうか?「現代日本ではそう辛苦のあることでもない」との意見もありますが、それは決して「なんかあんまりいい響きじゃないけど、自分はヘテロだと思うし、ヘテロセクシュアリティの看板を背負おうかな」というものと必ずしも同等ではありません。*3
どんな看板を背負うのもハードルはあります。


しかし、同性愛の看板を背負うことと異性愛の看板を背負うことは>社会的影響の危惧に限定するなら<前者のほうがより高いハードルであり、尚且つハードルの数が多いです。おそらくこれはどの有識者でも同意してくれるでしょう。*4


同性愛者を自称することは、それなりの(つまり結構な)リスクを孕んでるのです。
そんな人と対話をするのに、「ノーマル」などという表現で自己紹介して、・・・なんか遜色ありすぎだと思いません?


「あんた、どんだけ覚悟の上この名前を背負ってると思ってるのよ・・・。それだのに自分だけ、安全地帯にそんなに立ちたいわけ?」と正直思います。*5
ヘテロだと言えないのは誰のせいでもないし、別に変でもなければネガティブに受け取ることでもないけど。
でも、あえてなんの悪気もなくノーマルを自称してる人に言いたい。

逃げるなよ。(ゴメン、これも威圧?)

相手のその態度に見合うだけの自己紹介くらいしようよ?


極端に矮小化させて例えるなら、
「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。」に、
「チーっす!」で済ませてるようなもの。(いや、チョット自分でもこの例えはどうかと思う。)



これは、誰に言ってるわけでもないんだけど・・・。
少なくとも、「自分はヘテロセクシュアルだな」、と自認しておられる方くらいはせめて「あ、私はヘテロだよん。」て言ってもよくない?
そんなに言いづらいか??
と思う。(いや、だって自認してる人ならそれくらい・・・。)


もしヘテロと言えないなら、「私は同性愛者じゃない者だけど、同性愛に関して言えば・・・」でも全然問題なかったわけじゃないですか。それだのに一線を隔す形の自己紹介(ノーマル)をする必要はなかった。
たとえば、「私は同性に惹かれるって言うのはよく分からないけど、そんなの関係ないよね。人権万歳!」て言ったのなら、別に非難されることもないと思うのよね・・・。
そういう形で全然よかったんじゃない?て思う事があったりします。


そうでなくても、覚悟の居る看板で対話してる人にいくらなんでも「ノーマル」はどうよ・・・。というのが今の私の本音。



うーん・・・、結局は社会全体の問題なんだけどさ・・・・・・。あのさ?
・・・こういう、ヘテロを自認してる人さえ言いづらい背景を見ると、日本の中の「普通至上主義」って病的だなって思う。
折角だから言わせて貰うけど、反同性愛の社会って異性愛者にもすんごく抑圧的なんだよね。実は。
前から思ってたけど、なんで同性愛差別を異性愛者の多くは怒らないんだろう・・・・(勿論怒ってらっしゃる方もちゃんといますが!)。どんだけの抑圧を受けてるのか全く知らないわけではないはずなのに。



で、ここで私の立場としてはとっても重要なこと書こうかと思ったんだけど、あんまり長くなったので、別のエントリー立てます。
まあ、今回のエントリーとは直接関係ないので、別にチェックしなくても問題ないけど・・・。
あーチョット疲れた。

*1:まあでも、持ってないとお話にならないのだから、便宜上だけでも自称するって言う手はある。しかし、それであっても、対人コミュニケーションの場では自身のアイデンティティーのほうを尊重したい。

*2:それとも、学問上「異常例」であるからと言って、異常者呼ばわりをされるのを許さなくてはならないのでしょうか?反攻してもよいと私は思うのです。

*3:しかし、これがとっても苦痛な人も居るはずです。軽んじるつもりはありませんので。

*4:公的に関係性の保障をしてくれる法律婚に乗れないことも人権問題としての差別ですし。社会制度以外でもネガティブな印象を持たざるを得ない状況であることは誰も異論はないと思います。

*5:ちなみに私はクィアを自称できるかどうか迷い中。・・・セクシュアルアイデンティティーなんていらないとは思うけど、現実問題ないと困るというか、対話がなかなか出来ないので。