濡れたオカキ食いたい。
今日もほんのりニュースブログチック。案外楽しい。
ピルピルミチル。
しかし「未妊」はちょっと・・・(´・ω・`)
併せて読まれたい。
再定義好きなのでうp(うっぷ!)
- http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/06/20070206000063.html
- http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/06/20070206000064.html
かてごりー分類について考えやう。
ある属性をもった人間を「支援の対象」として囲い込むことは、差別的な見下しであり得る。 「○○のくせに」。 私の存在が、人格を持った一個人ではなく、「○○」という劣位のカテゴリーと同一視される。 支援のそぶりを見せていた人間が、本物の差別主義者に豹変する。
自戒を込めて・・・。(←キーワード化推奨)
カテゴリー化そのものが悪いと言ってしまうと*2、現に働いている差別的暴力の構図自体を問題化できなくなる。 「この人は○○である」という言い方自体がそもそもダメではないか、と言い出すと、逆に抵抗運動が構成できなくなって、「されるがまま」になってしまう。
↑基本。「じぇんだー」も。
しかし差別云々は構造論になりがち。でも、ある種のカテゴリーの特権化による、擬似的なマイノリティ対マジョリティという(混乱系の)構図を読み解くには有効?
実存はどこか?
セントラリティ視点の問題化と、イニシアティブ保持の格差。
排除と隠蔽。これが結局は本質も実存も捨て去るのか・・・。
なんかトラバ打たれたみたい。今から読んでみよう。とりあえず更新。
追記:(トラバ内容読んで)だからなに???謝られても良くわからないよ。
ごめん気持ち悪いから削除しますた。