ゲイジャパンニュースから愛を込めて。

今回またゲイジャパンニュースを取り扱う。本当はまずあるHP管理人様から許可いただいた引用文を使ったエントリを書きたいけれど、ちょいとばかり書きたいので先に書く。


アメリカ)あるひとつの研究が世界で論争を呼んでいる。オレゴン健康科学大学のチャールズ・ロセリ博士らによって行われている実験が、「同性愛」という性的指向を根絶するかもしれないからだというのだ。

と云う内容。*1


またまたとんでもない記事内容だけれど、まあ餅突いて行こう。


・・・てかまず引っかかるんだけれど、この手の研究って、バイセクシュアルのほうとかはどう扱ってるんだろう?そもそもバイセクシュアルって医学用語か?んー。
あとさ、こういうのって、「ストレート化」だけの話なの?じゃあ逆に「ホモセクシュアル化」というのは、これについては可能性は示唆されないのん?気になるー。*2


あとあと。瑣末だけどコレも引っかかる。羊といえど、(社会ではないけれど)ある規則性のある環境下に居るのだし、脳の構造だけで「ホモセクシュアル」の羊*3という存在が表出されてるわけではないだろうということ。人間以外の生物にだって、生得的要因以外の環境要因だとかの後天的な要因から一定の性表現を現すことだって充分に考えられるし。(まあそうは言っても生得的要因からホモセクシュアルと云うものが表出されないなんて事はないだろうし、あくまでこの記事に関係はない話だけどね?)
ここで私から注釈入れたい所は、この記事を読んで、性と云う物を単純に一面的なものとして捉えないでほしいということ。性と云うのは、生まれか育ちか、みたいな議論の上で存在するようなモノではないと思うのよ。この記事だけを読んで、人間社会のセクシュアリティ概念や「異性愛/同性愛」などの単純図式をベタに鵜呑みにし、この件をそのアナロジーかのように見るのはおかしいと思うんだ。この研究はあくまで生物学的見地からの性研究のアプローチであって、それを私たちと云う視点が、直に受け取るのってなんだか違うと思う。(まあ要するに額面通りに取るなって話かな?)


それからそれから。(まだかよ!)
この研究の問題点はココ。

生命倫理学者の中にもそれらの危険を指摘する人が出始めている。グラスゴーカレドニアン大学のユード・シュクレンク教授も、この危険性を指摘する。「この研究が同性愛嫌悪的だとは思わないが、これらの技術がイランのような社会の手に渡ることを想像してみてもらいたい。」。

国際的な問題もあるみたいね。そういうことの危惧をかんがみないで、果たしてただただ研究を進めても良いものかどうか?そこが問われるべきなんじゃないかと思う。
それと、優性思想だかなんかのような、「こういう人間として生まれて欲しい!こういうのは避けたい!」と思う心理の問題点だけど。
ここらへんは、アメリカみたいに多文化多民族?の集まる国では、一定諒解とされてる「神の存在」が一番のストッパーになると思うが、日本ではこの点かなりあやふやだ。どうやってこの件から見える生命倫理を扱うべきか。ここの一定諒解がなさそうだ。しかしそれは結局は、性を知ること。更に理解すること。そして、その理解した「性」から逃げずに(私たちの生命自体と合わせて)真正面から向き合う事。コレこそが重要なんだなと思う。
そうしなければ、「性」はいつまでたってもこの社会の中で色んな問題を抱えることになる。結局はどんな事実があろうと(逆になかろうと)、それを直視した上で、私たちがどれだけ真摯に性と云う生に向き合えるかなんだな。
ここらへんは、本当に多くの人達に考えていってもらいたいなぁ。




で、やっと本題。本当に「同性愛」という性的指向を根絶されうるのかどうか。
結論はNO。ごくごく当然のことだと思うけれど、この研究が仮にもし「ストレート化」に成功したとしても、それは直接的に人間に移行して考えられることではないし、そもそも同性愛とは直接的結びつきはない

Sunday Timesは記事の中で、「この実験は、生まれてくる子供が同性愛者になる機会を減らす、もしくはなくす治療を妊娠中の女性に与える日が来るかもしれないという可能性を浮かび上がらせた。専門家たちは、理論上は、母親にホルモン投与するような形での人間における「ストレート化」は、禁煙者がニコチン・パッチを肌に張るように、非常にシンプルに実現可能だろうと語る。」と、かなりショッキングな書き方をしている。

と、Sunday Timesの言うような生命操作による母体へのホルモン注射の話なんて飛躍しすぎだし*4、そもそもこの実験では「同性愛根絶」なんて与太話とは直結しない。この羊の脳構造をどう扱うことで「ストレート化」させるのか知らないが、脳にホルモン(?)かなんかを投与し「ストレート」の羊のような行動をとるように変化させたとして、それはでも結局、「同性愛」の存在をどうこうするという話とは、そもそも次元の異なる話では?だって、羊の性行動を、脳に薬を投与させることで変化させたという事実が(仮に)あるからって、同性愛という性的指向を根絶したのかどうかという事実は導き出されない*5。論理的に考えてそれは直接的でないし、ありえないことだ。第一、これは羊であって、性の表出の仕方から何まで違う私たち人間に移行して考えられる代物ではない。


忘れてはならないのは、私たちは決して社会から切り離された上での生物では全くないと云うこと。*6
よく人間も自然の一つだと言うが、それには一定の留意が必要で、私たちと云う存在は社会性なくして人間足り得ないし、社会的な学習によって培われた要素が多分に自己の性に影響を与えてるのは言うまでもない事実。
(この場合において性行動のキーとなるであろう)「性衝動」とてこれに免れるものではなくって。
性衝動と聴くと、すぐ「本能」という言葉を連想するかもしれないが、私たちの性衝動とは、そんな安直に決定付けられた運命のような物ではない。
性衝動とて精神性や社会性という観念的な要因から導き出された物の一つだろうし*7、そこにまた生得的要因や個々の人格・環境面等が複雑に合わさって形成されるのだろう。*8


考えてもみなさいよ。ゲイやヘテロの男性だってさ?皆が皆同じ性衝動のありようを持ってるわけじゃないし、多少文化的な要素に影響されて半ばお作法みたく性衝動を煽られることもあるでしょ?色んなコードに(規則的に)反応して欲情する人ってのが大多数だろうし、その事実自体が性衝動を文化的社会的なものたらしめてるわけでさ。*9
というわけで思うんだけど、複合的でない性の表出などありえない。のでは?だとしたら、この研究が仮に「ストレート化」に成功させたからって、直ちに同性愛がどうこうなるなんてことありえないじゃーん。だって性行動を一部的に変更させられたからって、それだけが私たちの性を位置づけてるわけじゃないんだしさ!*10



だから私は結局言える事はコレだろうと思うのよ。↓

Time Magazine(Online)の記事だ。この記事の筆者John Cloud氏は、記事の中で自らを同性愛者とした上で、以下のように述べている。

「同性愛者たちはSunday Timesが書いたニコチンパッチのようなものが存在したらということを恐れているように見える。しかし遺伝子とホルモン、そして心理の複雑な組み合わせによって生み出される同性に対する指向は、あらゆる困難にも関わらず、何世紀も存在し続けてきたのだ。同性愛者はダーウィンの進化論にも、ナチスにも、「ウィル&グレイス」の下らない影響にも屈せず、生き残ってきたのだ。私はその小さなパッチが、雄羊が他の雄羊を求めなくなるような力を持っているとは思わない。」

なくなるものかよ。


断言するが、
もし仮にゲイ遺伝子なる物があり、それを操作することで生得的要素を取り除いたとしても、或いは、脳の構造から見て薬の投与により「ストレート」に近しい脳に作り変えたとしても、この世からゲイカップルはなくなりなどしないし、また、ビアンカップルもまた同様になくなりはしない。
つーか、ストレート化が何を意味さすのかが不明瞭だってことだわな。たとえ何かの操作で異性間セックスをするように方向付けたとして、それは同性愛を根絶したことになるのか?ならない。論理的にいってそれ話が別。
私なんか仮に異性間セックスをしたくなるように脳をいじくられても、男性に支配されたい欲求は(嫌でも)消えない自信があるし*11性行動をコントロールできたからと言って性的指向性的嗜好を変えられるかどうかなんてあくまで別次元の話じゃないか。(性行動と性的指向は別!)
同性愛が根絶とか何とか仰ってる方?性的指向がそんな簡素な造りで出来てるわけないでしょうがーー。


私たちは今の偶然をどうやって持ちえた?誰か1人でも自分の性を、本当に脳だとか遺伝子だとかだけに還元できる?私には到底出来ない。(むしろ私には事後的に自己の性をかたどったという自覚があるし。)
同性愛を根絶?ありえない。ありえるとしたらそれは、セクシュアリティ概念の再定義や、異性愛/同性愛という二項対立図式の破綻が原因だろう。


あーだからこの手の話は好かんのよ。全然面白くない。あるのはただただ政治的搾取の危惧だけで、何の面白みのない内容が詰まってるだけ。私には下世話なシモネタってくらいにしか楽しめない話題だわ。


なくせるものならなくしてみせないさいってーのよ。(−∀−/~ツカマエテゴランナサイ*
ゼッテーなくならねー。少なくとも、ゲイカップルやビアンカップルはなくなんねーYO!おほほほほほほほほ!!!




ん?
・・・・あーそっか。私にとってより普遍的なのは「腐属性である」、と云うことだったかw
BL!永遠なれ!!

*1:どうでもいいけどこの羊可愛いなオイ。

*2:しかし、これをもってして研究者の中に異性愛視点しかない!とは言えないし、この場合騒いでるメディアのほうが異性愛視点なのかもだけど。だし、責めてるんじゃなくって、単純に疑問。

*3:この言い方自体引っかかるなぁ。だって人間用のホモセクシュアル、なんて呼び名を人間以外にもあてはめてるんだもん。そもそもそこが疑問だぁ。

*4:大体母体に注射したからと言って、どうやってそんな単純に胎児に脳の変化をもたらさせると言うのか。この研究からだけではどうともいえないでしょうに。飛躍だわ。

*5:つまり、性行動に変化が見られるからと言って、この「ホモセクシュアル」の羊の中にあるであろう指向性自体が変化したとは言えない。

*6:まあ羊やなんかにも色々あるでしょうが?

*7:そもそも「本能」という言葉は非常に観念的であって、私たちの主観を頼りにするものだ。

*8:だってそうじゃないと、すべての性愛は説明がつかない。本能、なんて安っぽい言葉だけでどうやってこんな規範的だったり道徳的だったりはたまた半ば規則的な性犯罪が、各文化圏で個々の特徴を表してると言うのか。仮に「本能」などいう後天的な要素を含まない要素で性衝動が成り立つなら、もっと画一的な性衝動のスタイルが全体に共有されてないとおかしい。本能と云う一言で説明がつくというならしてみろーいw

*9:私、性衝動って本当集団ヒステリーみたいなところあると思う。学習された性衝動って案外多いんじゃない?

*10:そもそもそんな操作を人間に施し、その事実を伝えた場合に、本人の自己肯定自尊心はどう守られるの?セクシュアリティだけに言える事ではないけれど、そういう操作って結局誰のためのものかわからないよ・・・・。

*11:あー嫌な自信。やなんだよ私。自分のマゾヒスティックな欲望がさー。