NTTのこと、私はどうしよう。

http://d.hatena.ne.jp/wanderingdj/20060907/1157561248
http://d.hatena.ne.jp/icchan0000/20061018


みやきちさん、りょうたさんと、私のブログのアンテナに入った方がメールをなさっているのだけれど・・・。私は具体的にどうしようか迷ってます。便乗してメールは送るつもり。これは決定。どういう文章にするかも迷うけれど。

子供に同性愛のサイトも見せても良いなんて思っている親なんか、ごくごく少数派だから勝手にしたら良い。

こういう親がいて、こういう意見が全うな意見だと捉えられるのは、所詮は偏見を資源とした排除(偏見の結果)なので、これを上回る量or質の共有できる情報を加算していけばいい。
今回の場合も、偏見ていうある一部的な「理解」を全体に固定化させることで暴力が正当化されるわけだけど、ここで気づかないといけないのは、「子供に同性愛に触れてはいけない」という答え(価値感)があくまで偽りの情報である事。事実、多くの人が触れなければならない側面もあるのだからね。(なぜかはアンテナの方両名のブログ参照。)
『「同性愛」が子に有害』と云うのは、同性愛に対する偏見だよね。偏見が正しい解釈とはされないのは論を待たないけれど、それを正しい理解かのように言いたがるロジックがある。それを情報としてみるに、その情報がコード化して暴力に移るその様は、つまりは偽りの情報が公平な(偽らない)情報を塗り替えて、表象に対する評価を固定化させること。
このとき、偏見が事実を歪ませちゃうけれど、そもそも表象への「正しい理解」など存在しないし、ここでNTTにNOを言うのならまずしなければならないのは、その偽りの情報をとにかく他の情報で塗り替えること。
つまりこれは情報を取り巻く権力闘争だよね。
どの情報が優勢になるかどうかってだけの話。


あるA子さんに対して「A子てほとんど同じ服着てるね。→ばっちいね。→キモイね!」という意見があったら「A子は欲を張らないし恵まれてなくても文句の言わないいい子だね。」という意見をバシバシ言えばいい。
情報を資源にして、どのような結果が生まれるかはわからないけれど、一方的な情報だけを行き渡らせると、その結果である暴力さえも正当なものとして認知されちゃう。
じゃあ他の情報を持ってきて、表象に対する暴力を他の結果に結びつければいい。
でも、その戦略と云うのが、単純にメールで抗議するだけではないのは当たり前。情報戦として捉えるにしても、その方法は一個に搾る必要もない。(だって同性愛に理解のある人なんて一杯居るもの。)
でも、私は具体的にどのような戦略を持ってすれば有効的に偽りの情報を塗り替えられるかわからない。
偏見を砕くためには声を発しないといけないのだけれど、一番問題なのは、その声の出し方なんだよねー。うーん・・・・。


あと、偽りの情報を塗り替えるための情報、それを扱う上での倫理性と云うものが問われるのかもしれない。
他の情報を提出する際、その情報がネガティブでないからと言ってすべてに同意するわけにも行かない。情報自体の意味とか効果を問い直さないといけなくなる。どうあるべきかていう倫理が欠如した情報は、たとえ情報戦に勝利したとしても、また偽りの情報になるとも限らないし、しかも、情報戦をする上でも「なぜ抗議するか」という基本的な根拠に弱くさせちゃう。
じゃあ結局また同性愛は悪か善かみたいな話をしなきゃいけないのか!?とか言われたら困るけど、まずははじめに、どうして「子供が同性愛に触れていい」のかを考えなくちゃ始まらない。
それだけの話なんだけど、平行線に終わる議論なんだよね、これ↑。


うーん、迷う。なにすりゃいいのよ。(と言ってお定まりなことしかやらないって結論に収まるんだけどー。)