友達との会話。

こないだダチンコと回転寿司喰らいに行って次の日腹壊したんだけど、あれはなんだったのかな。まあそれはどうでもいいのだけど、そのメリーゴーランドのように揺蕩う寿司屋は混んでいて少々待たなければならなかったので、友達と会話しながらもさっきまで行っていた本屋で買ったBL本をちょっとだけ開いてたのです(「この場で朗読して?」と言われたけど、さすがの私もそれは憚られた<ていうか迷惑だし)。

で、そのBLがきっかけで同性愛関連に話が飛んだんだけど。文脈は詳しくは覚えてないんだけど、その時一人の友達が「でも同性愛は先天性のものと後天性のものがあるって話らしいな」みたいなことを言ったんだよね。(どこの文献読んだんだ)
…えー、ていうか私の前でそれ言うか?
私は友達の前ではBL好き男好きとしか言ってないので「私は同性愛者です」とは一言も言ってはいないのね。 ということは、友達は同性愛者の友達に対してこのような話をしたわけではないことになる。けども、同性愛の欲望を持ってるとわかってる友達を前に、コレを言うと、「あなたの性は先天性か後天性か」みたいな話をした事になると思うんだ。でも、そんな話よく出来るよなぁとか思う。
うぅーん、やっぱりちょっといい気はしないんだよね。なぜかははっきりしないけども。

で、その時私はどう言ったかというと、なんだかもにょもにょと「そんな風に両極端に割り切れるとは限らないよ」と同性愛について言及したのだけど、…ちょっと失敗だったかも。


もちろん同性愛だけをそういう風にアカデミックに分析される非対称性こそ批判せよ、という議論は以前からゲイリブ方面でなされてあると思うけど。まあ、それはそれとして、思うんだけど、こういう偏見や妙な色眼鏡で見られる者にとって何がやばいって、「言われっ放し」っていうのがヤバイのではないかなと思う。
そういえば前エントリでは腐女子の欲望に関して書いたわけだけど、なぜかある者だけが取り立てて特異なものとして一方的に語られるという時に、<わたし>という当事者は、なるべく相手のことを語っていかなければならないのではないか、と思う。
具体的にどういうことかって言うと、たとえば上の話だったら、
「えー、そうなんだ。じゃあたとえば○○さんの異性愛ていう性指向は先天性なん?それとも後天性なん?」
というように、私の同性愛を相手に語られたなら語られた分だけ、相手の性愛をこちらから(先天性後天性という議題に)引っ張り巻き込ませる形で、語っていかなければならない、ということ。*1
で、もしそこでその友達から、
「同性愛には先天性のものと後天性のものがあるだろうけど、異性愛は基本的でノーマルだから先天性も後天性もないよ。人は本来生まれつき異性愛のはずだから!」*2
と言わせたらこっちのもの。
「え、なんで?同性愛は二つに分けられるのに、なんで異性愛だけが不動のものみたいに言えるの?その根拠は何処?仮に同性愛という“性愛”が先天性と後天性に別れるなら、性愛自体そういう揺らぎを持ってるっていうことになるんじゃないの〜?」
と言っちゃえばいい。ここではもう既に、『同性愛は先天性のものと後天性のもの』というように一方的に(暴力的に)語られることからは、避けられてるはず。
この『先天性後天性』という議題の何がまずいかというと、その議題自体は何もまずくはないんだろうと思うけども…、それをあえて同性愛だけに限定して両極端に分割することによって、「同性愛」というものを「異性愛(<正確にはストレートかな)とはまったく別の特異な性愛」と位置づけられちゃうから。*3
そういう風に語られると、同性愛を差別的に特異なものとして位置づけるまなざしを強化させてしまう。だから、そういう(どうでもいいような)先天性だの後天性だのという話をされたら、まず同性愛だけを特異なものとして不当に分析されないように、相手側の性愛(が異性愛とは限らないけども)をも“分析される対象”として位置づけさせなきゃね!と思う。そうすることで、「同性愛は先天性後天性」という下らない議論の根底を覆しかく乱できると思う。*4

ていうかその時に一緒に話していたのは、単なる私の友達(!)なんだから、友達相手に一方的に“分析される”ことの気持ち悪さこそを、やっぱり知っておいてほしいのよね。(なんで友達との間に<分析されるわたし>と<分析するあなた>って関係にならなきゃならないのよ、そこはかとなくキモイよ、それ)
で、異性愛の友達の間でも、やっぱり私はどこか居心地の悪いものが時として*5あるけども、そういう時こそ、いかに抑圧の構造をかく乱できるかが重要だと(私個人は)感じている。
だってさ、せめて友達の間だけでも気持ちよく接していきたいじゃないのよ。そのためには、かく乱のためのテクニックを磨かないとなぁと思う。*6


というわけで、この会話からの反省。

  • 一方的に語られないこと。

これです。


…しかし、こうやって友達相手に気負ってる私っておかしいのかな…。

*1:そういえばその友達が異性愛者なのかどうか私は知らなかった。もし異性愛者ならば、その友達自身の性愛を問えば効果的だろうね。

*2:さすがに友達はこんなこと言わないかしら?でももし言われたら私、同性愛を病気か何かに結びつけた形で見られてるように感じちゃうだろうな。それはつまり、「同性愛」と「病気」を、「普通じゃない異常なもの」として貶められたようなものじゃない?それは私個人としては不快だなぁ。いや、もちろん病気も同性愛も烙印なんかじゃないけどさ。ないからこそ、そういう風に無闇に線引きされて語られたくないのよね。

*3:いや、別に異性愛と同じに見られたいんじゃなくってさ。異性愛を無駄に特権化した上で、同性愛を「異性愛(普通!)とは違う物」として勝手に位置づけるのは不当だろう、と言いたいのです。私は異性愛が普通でも正常でも何でもいいのだけれど、その時同性愛だけが変態と位置づけられる根拠なんてないでしょ。たとえば同性愛が変態ならば、そのほかの性愛(もちろん異性愛)も変態のはずだし。

*4:いやまあね。生物屋の人には学問として重大なテーマなのかもしれないけれど、正直世間話のレベルとしては下らないわよ、こんな不躾で失礼な議題。

*5:たまに、よ。たまに。

*6:……て、なんで私だけがこんなアホな努力してるんだろう。それ自体不快だなぁ。ていうかなんで友達に対して戦略練ってるんだろう。…あれ、私、こんなことをエントリ立てて考えてる時点でダメダメ?負けてる?おかしい?