腐女子とゲイとコミケ。

コミケの方参加なさってる方々お疲れ様。行けない私なんかは羨ましく思う次第です。ところで、コミケの季節になってなお出てくる腐関連の記事。ちょっと覗いてみましょうか。


http://news.livedoor.com/article/detail/3268231/*1
http://news.ameba.jp/2007/08/6561.php*2
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/08/post_1276.html
【噴水台】同性愛コード | Joongang Ilbo | 中央日報*3

このように、語られることの機会が増えていく様を見ることで私が思うのは、ここまで注目を寄せられているのならもうその現状は受け止めざるをえないのではないか、ということ。
腐女子の方々の中には、こういう記事が出てくるたびに「放っておいてくれ」という反応を示す方もいる。けれど、それも現実的な要求ではないなと思う。
腐女子が語られる、ということは、ゲイが語られるということに繋がるわけだが、そのことに対してどのようなアプローチをしていく/しないべきか。それはわからないけれど、語られだしたとわかったなら、いっそのこと、自分たちの口で自分たちの実感を発信していった方が良いのではないか、と思う。だって、そうしないと「語られっぱなし」になっちゃうもん。かつてのゲイブームなどがあったようにね。
伏見氏も言ったように、昔なんかは偉い学者でもホモフォビックな著書を出していて、好き放題言われっぱなしだった(らしい)。けれどそれへの批判というのは必要のはず。もちろん腐女子とゲイとでは社会的背景が違うから、べき論が成り立たないというのもありそう。けれど、語られっぱなしでは好き放題言われるだけでそれも得策ではないようにも思う…。


「女ヲタ」の時代が来たのかもしれない: H-Yamaguchi.net

別に女ヲタが新しい現象だなどといっているわけではない。では何が新しいと思うのかというと、女ヲタの存在に対する社会の「認知度」や「受容度」がはっきりと上昇し始めたのではないかということだ。

腐女子をターゲットにした、あるいは、腐女子ネタを消費する者をターゲットにしたメディアの露出というのは今後増えそう。
こうした市場との関係で、「腐女子が急増した」などということを既成事実として言われるかもしれないけれど、それはちゃんと調べてみないとわからない。ただ、腐女子の実態の変化、というよりは、こういう語られ方の変化というものがあって、その関係の中で腐とゲイの社会的な立ち居地も何らかの形で動いていきそう。今後<腐女子と市場(商業)>と<腐女子の実態>とが絡まりあって、私達の中で更に(腐に関しての)混乱をもたらしそうだ。

そうしたとき、私などのセクマイというかクィアは、どういう視点を持てばいいだろう。

最近もBLの映画化がニ、三あったりして、そうしたゲイ消費が、結果的にどんな影響をゲイ達におよぼすのだろう。そこらへんのこともニョロニョロ考えていった方がよいような…。
それにしても、BLややおいを利用して、ゲイが何かを働きかける、ということはあまり起こっていなさそう。ていうか、聞いた事もない。
もはや腐業界という「口」は、ゲイそして同性愛を語る口として無視できない大きさになっていってるはず。
そして、腐女子が語られっぱなしなのにもまして、それ故にゲイまで語られっぱなしになっている、という現状はあるのではないか。
おそろしことに、現実においても、男同士の性的な関係について異性愛者の一部には「ああ、同性愛の話ね」ではなく、「ああ、いわゆるボーイズラブってやつでしょ」という認識が、あったりする…。(まあどこまで本気の反応かわからないけど)
腐女子への言説が妙な形でゲイに関係してしまっている。その現状で、ゲイは腐女子が語られっぱなしなことを、はたして無視していいのか。どうなんだろう。


腐女子が禁断の愛としてゲイを消費し*4、そうすることでより抑圧的な構造を強化してしまうのなら、腐女子との関わりあい方を今後考えていく必要はあるのではないか。」

…ということは、たぶん多くのゲイが思っている事ではないでしょうか?
腐女子が認知されていくこと、それを異性愛者社会は同性愛への寛容と解釈したりする。
これもある意味しかたがないとするならば、ではゲイや私などのクィアはどう働きかけていく戦法がありうるのか、を考えた方がよいと思う。
腐女子文化の批評も含め、腐女子である事への自己肯定の仕方(パフォーマンス)と腐女子の語られ方、そうしたものに対しても、批評をしていくべきかもしれないと思う。


私としては、それぞれの文化は否応もなくどこかで繋がるものだと思っている。だから、「最終的には同性愛と腐女子を切り離していくべきだ」とは思わない。大体、「同性愛」という“定義”にしたって、あれは単に「同性間での性愛」という定義でしかない。定義は文化と切り離されるものではないはず。腐女子文化の中にあるそれは、確かに定義上同性愛である。その事実になんら問題はない。ただ、―腐女子の認知と相俟って、ゲイ、同性愛の社会的立場が揺れ動く―という関係があるのだとするならば、それらの関係性をより好ましいものとしていくべきだ。

腐女子を批評する。それは私にとって決して「他人事」ではなく、「我が事」なんだ。

*1:「ブースを出しているサークル代表は、7割以上が女」の根拠は何処?そりゃ1日目か2日目かで参加する男女数も変わってくるでしょうけど。あと、どうでもいいけど、近寄りがたいのはお互い様なような気が…。

*2:ちょっと何腐女子ドリーム見てるの。誇張じゃないのかー。でも一部分は納得。あと、「責め」じゃなくて「攻め」ね。

*3:女性のゲイへの需要=寛容とは笑った。最後の部分が、よく言われる腐女子論ですよねー。

*4:もちろんそんなんばっかじゃないですよ。念のため。