ゲイの次世代生産性。

伏見憲明という人を知って野口勝三という人を知った。今回は野口勝三さんの<ゲイの生産性>議論に焦点を当ててみようと思うー。よろちくー。*1(伏見さんも似た議論をなさってるのだけど、それは又新たに暇が出来たら書いてみたいなー!)

ちょびっと長いが引用しちゃう。

ゲイは再生産を核にした家族中心の社会において、抑圧を受けてきたといえるわけだけど、だからって、家族、子供を作る人たちは自分の利害に反する存在だ、家族を再生産していく社会システム全体が間違っている、とは言わない。ゲイである自分は子供をつくらない。子供を中心とした家族を営むわけではない。しかしながら社会の存続可能性にとって子供が必要である以上、ゲイも同じ社会を生きる人間として、社会を維持するコストを払う必要がある。子供を作るという形でのコストを払うことができないけれども、それに代わりうるコストを払っていく必要がある。このように自分を常に他者と重ね合わせながら、社会の中に置きなおして普遍化して検証する態度を一貫して持ち続けているんですね。

ゲイリブの中には「反家族」という理念を打ち出す人もいる。しかし同じ社会のメンバーである以上、それを維持するためのコストは、どのレベルでどの程度払う必要があるのかは議論によって決定されていくのでしょうが、互いに負担しなければならない。異なる利害を持っている人が同じ空間のなかで存在する以上、維持するコストはお互いに払っていく必要があるという意識を持つこと。公共性というのはそういうものですね。

http://www.pot.co.jp/pub_list/2007/02/12/taidan-4/

これが野口勝三の議論ね。

(野口議論で思う事。)

さて、野口さんは引用先でゲイのライフスタイルを「子どもを作るわけでもない、家族を再生産するわけでもない」ものとして切り取っているのだけど・・・。では、子どもを作る、という次世代の生産について考えてみよう。
でも、そもそも子どもを作る、ってどういうことなのかな・・・。私は別にゲイだって子どもを「産める」と思うよ、うん。ていうかさ、なんでか知らないけど、
結婚して男女の夫婦になってそれからその男女でセックスして子どもを産んで(産ませて)その男女二人の子どもとして育てて家族として子どもと共同生活してお家存続v(はぁはぁ、<息継ぎ)
って形でしか次世代の生産性(子どもを作る)をイメージできない今の状況ってどうよ、と思う。子どもは精子卵子で出来るわけだけど、なんでそれらの提供者である二人が夫婦でなければならない(とされてる)のか、すごい疑問。
たとえば精子バンクに精子提供して他の人の子作りに間接的に関わる・・・とか。 とあるゲイカップルとビアンカップルがいて その両カップルで一緒に協力して子どもを作って、二つのカップルの手で子どもを育てる・・・*2、というのもあって良いと思う。そういうのもれっきとした「子作り」だろうし、その他にも、家族ってパッケージに必ずしも限定せずとも次世代の生産の方法は幾らか考えられるはず。そういうことを前提にした社会保障がちょっとはなされないかなぁと思う次第ですけど。とにもかくにも、家族を作るのと子どもを作るのとはーーあるレベルではーー違うし、その二つのみが次世代の生産性とイコールなわけでもないはず。(今は半ばイコールになってるけれど、別にそうでなければならないという根拠も思い当たらない)
それは私なんぞに言われなくても野口さんも知っているでしょう。(「代わりうるコスト」と言ってるし、それは明らか。)

私たち自身が色んなイマジネーションが出来ないというのは一つの問題ではあるけれど、何も最初から 家族単位社会VSゲイライフ って形で対立させることはないんだよね。だって、<ゲイライフ=子どもを作れない>では決してないものね。おほほ。
そもそも、ゲイライフ(ゲイに限らないけど)と一口で言っても、そのあり方は様々だ。というか、ひとつとして同じものはない。ゲイライフと言って、すぐにシングルであり身寄りがなく家族や子どもを作る事が出来ない、などとイメージするのも不味いよね、と思う。
更に言うなら、ゲイとゲイの間にだって、色んな差異があるわけだ。あるゲイにいたっては、もしかしてダブルマイノリティかもしれない。そういう様々なゲイがいて、ゲイライフというものがある。こう考えてみると、ますますゲイライフと家族単位の社会はそんな単純な形で対立してなんてないな、と思う。つまり、ゲイライフの何がそうした社会と対立するかは、具体的に見て行かなければわからない。

そして、ゲイにもそれぞれのニーズがあるはず。
「代わりうるコスト」の可能性を考えていくのももちろん大事だと思うけれど、日本にだって子どもを持って生活していきたい、あるいは家族を作りたいゲイやビアンだって、もちろんいる。*3そういったニーズにこたえていく必要がまずあるんじゃないかと私は思うんだ。けれど、実際ゲイライフは<ライフスタイル>として比較的強く制限がなされてある。仮にゲイやビアンが様々なライフスタイルを構想してみたとしても、それが実現可能かと言うと、そうとも限らない。実際、上で挙げた例え話だって、日本ではちょっと無理臭い面もあると思う。
そういう、制限された実情というものがあるのね。でもそれは、改善されていってよいことのはず。ゲイのライフスタイルが制限された結果、家族単位の社会と相容れなくなったとしても、それはマイノリティのせいではなく社会の仕組みがそうさせてしまっているだけのことだし、それは改善の余地がある。(そして、そのために自分のニーズを積極的に訴えていく必要が、ある!)

そういう制限の問題性と兼ね合わせてこの<次世代の生産性>を議論しなければ、「ゲイ」に対して抑圧的な議論になるんじゃないのかな・・・。何も限定的な選択肢の上でのみ生産性を問われるいわれはない。
だからさ、私はまず、それぞれのゲイ、というか同性愛者(にすら限らないんだけど)のニーズを一つ一つ汲み取っていく作業が必要になってくるんじゃないか、と思う。それぞれのニーズがあって、そしてそれらがなぜか制限されてあって、制限されてあるのが妥当なのか不当なのかを議論する必要が多分あって、それを議論し解決した上で人々のライフスタイルと権利の獲得がなされていく。そういう段取りが、次世代の生産性というコストとリソースに関する議論をする上で必要なんだと私は思う。私たちに持てる権利というものがなんであるのか、知ることが大事やね!


あ、こんなん見っけた!

親族関係の形態は、生活を組織化する原理として結婚や再生産に頼っているわけではない。結婚の権利のためにいかに戦うかを考えるためには、財産、相続、子供についての議論を「結婚」の議論と離して考える必要がある。結婚によって仲介されないが正当な結びつきというのは存在する。いかなる進歩主義的なsexual politicsにおいてもその中心におかれるべき。
(黒字部分引用者による)

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060117/p2

この議論の方向性は参考にしたい!


で、野口さんの引用文に戻るんだけど。「社会を維持するコストを払う必要がある」というのは、色んなレベルの意味があると思う。私なんかは社会学のトレーニング受けてないから野口さんの物言いが「次世代を作る事で維持される社会に生きてる以上、そのコストを負担しなければならない。しないのはダメ〜」みたいに読めちゃうんだけど、まさかダメとまでは思ってないはず。けれど、じゃあ「負担しなければならない」というのは、一体どういう意味なのだろう。
私は上で挙げたように、(必ずしも家族単位でなくても)様々な形でそういうコストを支払えるようにするべく、「こうこうこうやって子どもを作り育てたい」等といった個々のニーズを汲み取っていく作業が必要と言いました。(そして、そのニーズに対して議論して、実際に実現可能にするべく権利獲得する段取りが必要)
けれど、私は別にそれを「社会の構成員として“しなければらない”からそうする必要がある」と言いたいわけでもないんだよね・・・。実はそうじゃなくって、「ニーズの実現が制限されてあるのがそもそも不当であり、様々なライフスタイルを自由に獲得できるように権利を保障してほしい」というのが、まず先にあります。
で、野口さんの仰る「負担しなければならない」というのは、自然と必要性が出てくる、という意味なんだろうか。そこらへん疑問なんだけど、・・・どうなんだ。
でも、私がここらへんで特に思う事は、「そういうコストは、支払える人がすればイイよね」ということなんだよなぁ。・・・無責任ではないと思うよ、これは。だって、ちゃ〜んと色んな人にだって支払えるような整備をすれば、おそらく生産性の問題は解決できるだろうし(皆がみんな、子作りしなあかんってこともないだろうし?)。整備しても出来ない人にまでそのコストを背負わせる必要もないと思う。問題なのは、支払える資源があるのに、それを無闇に制限してる社会の仕組みだと思う!そして、支払わない人を無闇に糾弾することだと思う。私なんかはそれこそを批判したいんだよね。

*1:えっと、なんか知らんけど引用先がゲイに限定されてるので、一応今回の私の議論もそこそこゲイ中心主義的に進めてみようと思いまーす。だから「ビアンはどうなるんじゃあゴルァア!」と突っ込まれても痛くない。痛くないもん!(ごめんなさいごめんなさい、許してください、平に平に。)

*2:もちろんそれを言うなら、もっと複雑な、もっと色んなケースがあっても良いはずですね。そのカップルはそれぞれパートナーシップがモノガミー体制じゃないかもしれないし、別にカップル&カップルでしなくてもよいよね。実際にゲイカップルがどちらか一方の精子を使って女性の協力者に産んでもらうというケースもあるしね。これは単にただの一つの例え話だから、他にも考えられるはず。

*3:レズビアンマザーだっている!