それにしたって恣意的過ぎますよ、このやおい解釈・・・。

ショタやおい雑記(改)を読んでたら・・・!!こんなものが〜〜〜!

やおい
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
2007年10月21日 (日) 04:55; Chiether (会話 | 投稿記録) による版
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やおいとは、女性読者のために創作された、男性同性愛を題材にした漫画や小説などの俗称。特にポルノとして描かれた性描写のある作品、ホモフォビア作品を指すことがある。
(黒字部分引用者による)

え〜、いや!ちょっと待って、それはちょっと待とうよ、奥さん?!どうしたの、どうしちゃったのよwikiちゃま。。。

これ読んで「えっと、皆様やおい作品に含まれるホモフォビアにご立腹なのかしらん?」とも思いましたけども、それにしたって流石にこれはいかがなものかと・・・。
ていうか、これってどういうことなんだろう。。。「ホモフォビア作品を指すことがある」っていうことは、この文章を書いた人がそのように認識してるってわけじゃなくて、世間一般において同性愛を嫌悪している作品を「やおい」と呼んでる状況があるって事なんですか?
・・・・と、とんでもない!いや、それって単にネットと「ホモフォビア」という語を使った「やおい」の糾弾じゃないですか・・・。やおいいじめじゃん!スケープゴートに使用されただけじゃん!なんですか、その闘争?・・・大体、「ホモフォビア作品」って意味が分からないしwwwそんなの言ったら、非やおい系作品でも(それこそテレビ放送される作品でも)ホモフォビアなんてそこらにありますが・・・?それら全部を「ホモフォビア作品」と呼びますか?呼ばないのなら、なぜ「やおい」だけが「ホモフォビア作品」などと呼ばれなきゃいけんのですか。

・・・というか私ね、皆が当たり前だと思ってる社会制度自体にもホモフォビアっていうのはあると思ってたのですけども。。。
例えば結婚制度。結婚したら色々お得な利益がありますよね?でも結婚って異性でしか出来ないじゃないですか。それって実質同性パートナーシップを持ってる人持ちたい人の「結婚する権利」を侵害しているのね。ついでに言うと、結婚しないと得られない様々な利益も、同時に侵害されているのね。*1どういうことかって言うと、日本社会って特に家族単位で社会を構成していると思うのですけど、そういう社会の中では「家族」であることで社会的な権利を優先的に得られる仕組みになっているわけです。実際、「家族」じゃないと色んなサービスを利用できなかったりしますよね?たとえばマンションを共同名義で購入するときに、金融機関でローンを組むにしたって「家族」じゃないとローンを組むことさえ認めてもらえなかったりします。*2
そういう権利侵害っていうのは一言で言えば「異性愛中心主義」と言えるのだけど、同時にホモフォビックでもあると思うわけです。

 同性間の攻撃をすることだけが異性愛主義ではありません。人権や平等を訴える社会運動の中で、そんな分かり易い形で同性関係嫌悪が出てくることは希です。では、同性関係が攻撃されていなければ、そこには同性関係嫌悪はないのですか?
 同性関係は、存在の否認から始まります。社会の中に、そして目の前に、厳に存在するにもかかわらず、いないことにされてきた。たまに声を上げた時だけ、「少数派」として特別席が用意されるけど、それはすぐ忘れ去られる。そういった現実がいまだにあるし、またこれまでもずっと続いてきました。
http://weblog.barairo.net/index.php?categ=1&year=&month=12&id=1104092301

誰かをいないことにしたり、制度や権利から吐き捨てること自体、とってもフォビック(嫌悪的)なことじゃないですか?そして、同性愛や同性間の関係を制度や権利から吐き捨てること、そういうのを「ホモフォビア」って言ってもおかしくないと思うのね。
異性愛中心主義ってホモフォビアと無関係じゃないので、言ってしまえば異性愛中心主義的なこの(マジョリティ)社会のあらゆる現場でホモフォビアは立ち表れているし、ホモフォビアを生産・再生産する可能性は既に常に孕んでるわけです。
つーか、簡単に例を言えば、テレビとか出版物とかのメディアってすんごい異性愛中心主義じゃない?やたら「異性愛異性愛!」って叫んでるよね、毎日。そのわりに「同性愛」の存在はおかしいくらいぞんざいに扱われたり、「ない」ものとして吐き捨ててあったりする。(えーと、さすがに異性愛者の方にもそれくらいの事実は認識済みだと思いますが・・・、言ってることわかりますよね?)それってつまりメディアって言う大きな情報源を異性愛で占有されてるってわけ。そういうのにも、やっぱりホモフォビアって関係してるはずなのね。

てなわけで。・・・ええ、この社会には非やおい作品であっても、ホモフォビアってやっぱりあるんです。なのに、ここで「やおい」だけが「ホモフォビックなんだ!」みたいな位置づけをしてしまうと、あたかも「この社会にあるホモフォビアは『やおいからしか生まれてこないんだ!悪玉菌は『やおい』なんだ!ホモフォビックなのは『やおい』だけであって、他は問題ないんだ!全部やおいが悪いんだもん!」てヒステリックに叫んでることになります・・・。でもね、違うの、ホモフォビアっていうのは「同性愛嫌悪・憎悪」「同性愛恐怖症」だなんて言いますが、そういう心理的なものって、特定の作品にだけにとどまるものじゃないでしょ?どこかしら、私たちの社会に、意識に孕んでいるものでしょ?そして、そうした社会で生産される作品にも、やっぱりホモフォビアが孕んでるという可能性が、ある。
ホモフォビアって言うのは、私たちの住むこの社会の制度と関連してるものだと言える。なわけだから、そういう仕組みの社会で暮らし育ってきた私たちの意識のどこかに「ホモフォビア」の影響はあると考えられるわけです。*3
それだのに、「ホモフォビアやおい」なんて位置づけをしてしまうと、この社会におけるホモフォビアの問題がやおいだけに集中してしまい、「ホモフォビアの問題」が「社会の問題」であるという捉え方ができなくなって、結果「ホモフォビアの問題」が「やおいの問題」っていう風にスライドされてしまい、問題の根幹とか全体像が見えなくなっちゃうと思う。そういうのは、イカン。本当は、やおいも含めた社会全体に問題があるんだ、という認識の方が妥当なはず。
とにかく!やおいだけにホモフォビアという制度的な悪感情の責を負わせるのは不当!「ホモフォビア」はやおいだけの問題じゃない!ついでに言うと、ホモフォビアが問題化する社会が問題!問題への認識がずれてしまうようなネーミングは迷惑だからやめて!!よろしく!



あと、「特にポルノとして描かれた性描写のある作品」て一体どういう意味なんだろう・・・。これもまた意味不明。じゃあこの世のポルノはすべて「やおい」なのか?!


・・・・・・・。
わあ!なんて素敵に腐ったジャパネスク!

:追記。
あー、上の内容はですね、仮に「世間一般ではホモフォビックな作品のことを=やおいだと見なしている」という前提で書きました。なので、wikiの表記について批判してるわけではありません。けれど、やっぱりこちらも批判してしかるべきですね。だって、この書き方を読み手にさらすと言うことは、「やおいだけがホモフォビックであり、ホモフォビアやおい特有のもの」だとか、「やおいとはかくもホモフォビックなのか」という偏見を助長させます。あのね、思ってるよりそんな一枚岩じゃないのよ、BLとかやおいとか。なのだから、もうちょっと中立性の高い用語選択をして、やおいを解説してやってよ、全く。お願いしますよ、旦那。

*1:まあ単純に言うと「同性愛者は結婚する権利ないですよーて言われてる」ってことでもあるのだけど。<もちろん同性愛者に限らないんだけど。

*2:[セクシュアルマイノリティ・同性愛] All About|セクシュアルマイノリティ・同性愛における恋愛事情から最新ニュースまでを紹介

*3:もちろんそんな社会で生きてきたからって自動的にストレートにホモフォビックになるわけじゃない。けれど、そういうホモフォビアを孕んだ制度による何らかの影響で、自分の意識にも少なからず「ホモフォビアの結果」とでも言うような<何か>を内面化してる可能性は否定できないって思うんですね。