腐業界における「ホモ」の再盗用とかなんとか。

(このエントリは後日簡易版を書きます。よしなに〜。)

ペニス増大サプリで彼女も満足!ランキングで使えるサプリを紹介
このレポート記事、現在も連載続いてるのでqueerが気になる人はざっと読んでみればよろしいのかもしれないのではないでしょうかと思いますのでございますけれども。
ところで、「再盗用」と言うと難しい感じだけれど、“捉え返す”というパフォーマンスってけっこう日常的であり一般的なパフォだと思います。(あんまり良い響きではない「オヤジ」とか「オバハン」とかも、たまに肯定的に使われたりするよね?)
名前というのはけっこう自分たちの語りの中で変化していく要素が大きいのではないかと。それはクィア(おかしい奇妙変態)な名前に限らないと思います。記事内でも例に出されてる「nigger」とか、あるいは「障害」者とかも、“捉え返し”が行われてる名前のひとつだと思ったりして・・・。
そうそう、障害/障碍もある意味、ホモ/ゲイやレズ/レズビアンと、言葉の歴史みたいなものが似てるのかもしれませんよね。・・・・・安易に並列するのはヤバイかしら・・・?

Niggerにしてもqueerにしても、勝手に蔑称として使われつづけてきた歴史があって、もちろん違う言いかたをしてもいいのだけれど、違う言いかたをするのはつまらない、というひとがいる。あるいは、違う言いかたをすると、queerやniggerはいかにも「悪い」言葉だ、niggerだったりqueerだったりするのは悪いことだからその言葉を使わない、となるのが嫌だ、という感覚になる場合がある。

否定的だったり侮蔑的だったりする自分の名前を、如何に己のリアリティ・希望に近い形で取り戻す/「引き寄せる」のか・・・。より自己にとって望ましいものに作り変えていこうとするのか・・・。そういう名前をめぐる(自己表象をめぐる)動きのひとつに、「再盗用」と呼べるものも、ある。それが「私はクィアだ」と表明することなんでしょうねー。

「ホモ」って名前言葉があるけれど、あれは一般的には蔑称ですよね。しかし、あえて蔑称の「ホモ」を再盗用して自分の良いように使いなおす。そういうのもあってよいのかもしれません。
もちろん、「ホモ」と呼ばれ続けた人が「ゲイ」を名乗るようになってもよい。
そしてこれは私の考えなのですが、「ゲイ」を名乗ることで、「ホモ」に含められた侮蔑の意味を置き去りにするのではなく、侮蔑されたものを拾い上げて“肯定しなおす”動きもあるのではないか、と思う。だって、大雑把な解釈では「ゲイ」と「ホモ」は大して意味の違わない名前として流通してる節もあるし、「ゲイ」という名前を使うことで(プライドに加え)「ホモ」に含められた意味を改めて引き受ける(と同時に捉え返す)ということは、たぶんありうる/ありえたと思うから・・・。
・・・つまるところ、蔑称の「ホモ」には“変態”という意味づけが行われてるのだと思う・・・。そこでは「ホモ=変態→ダメ!」なのだろうけれど、しかし「ホモ=変態→イッツクール」と同じく「ゲイ=変態→イッツクール!」という意味づけの方向性もあると私は思うんだ。そんなわけで(<どんなわけで)、「俺はホモじゃない!ゲイだ!」と言うからって、「ホモ」の名の下に与えられた侮蔑の要素を拾えないわけではない気がするのね。「ホモで何が悪い」と言っちゃうのもひとつの可能性だし、「ゲイという“変態”ですか、何か?」と言って「ホモ」に含まれていた(別に侮蔑されるいわれがないのに「変態」とされた)要素を肯定しなおすことも、ひとつの可能性だと思う。もしかしたら、どちらの可能性もそんなに変わらないものかもしれない。(知らんけど【爆】)
とは言え、

たとえば、「『レズ』って言われるのは嫌だから言わないで」というと、「レズ」と言われているその中身そのものを否定されているような気がするひとがいる。みんながそう思うわけではないですよ。言い換えれば、「レズって言わないで」というのは、あたかも「自分がレズビアンであるということは言わないで」と言っているような気がする。

つーことも考えられるのだとしたら、ストレートに・・・というか、率直に(^^;)「レズです!」って言っちゃうのも、アリだとも感じる。アリならば、私も「ホモ」という名前を使ってしまいたい、、、気もする。


ともあれ、ゲイだのホモだのいう名前は(も)、歴史的に見れば盗用再盗用されてきた名前だと言える。そして今もそのような意味づけの歴史はされ続けているのだろう。今後どうなるかはわからないけれど、その名前を使う(当事者以外を含む)者たちによって意味が変化する可能性もあるわけだ。


さて、と。いったんお茶でも飲みましょう。
うん、ごきゅ。ごきゅ。ごきゅ。ごきゅ。うん・・・。・・・。・・・ごきゅ。ごきゅ。ごきゅ。
皆さん、飲みましたか?私はチョコを刻んでホットミルクに投入したものを飲んでみました。うん、あまり美味しくないですね。砂糖を入れてみましょう。・・・ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ。うん、熱い。とても飲めたもんじゃない。とりあえずこやつは捨て置きます。

ところで私は「ホモ」という名前言葉を使うことはめったにありません。「ゲイ」と「ホモ」は、言葉の歴史的にも内容が違うので、あんまり同義として使うのはよくないような気もしますし、それに加え、伝わるニュアンスが違うので、私は割と肯定的な意味の「ゲイ」を使うことにしています。
それはなぜかと言うと、「ホモ」という名前、というか言葉がもたらす<笑い>に対処しきれないから。
たとえば、「あいつ大学生なんだって」という語尾には何もつかないと思いますが、「あいつホモなんだって」という語尾には「(笑)」がつくと思うんですよ。「・・・『ホモ』・・・っぷ!www」みたいな・・・。「ホモ」って結局侮蔑のニュアンスが付いて回るから、それを使うと、どうしても伝えたくないニュアンスを相手に伝えてしまうリスクが、ある。
もちろんそれは(「リスク」ではあっても)私の「責任」ではないし、上記のように再盗用してしまってもよいのだけれど、それでも今のところ、「ホモ」にまつわる<笑い>のパニック(と言うのも大げさだけど)に対処しきれる自信がないので、そして、常に再盗用とか肯定とかできる自信もないので、私はなるべく「ホモ」は使わないようにしてる。*1

(突然話に出して失礼なのですが)いつもお世話になってるみやきちさん*2

あたしは最近自サイト内では、「レズ」という単語はあまり使わないようにしているんですが(※複合語の中で使う場合や、「レズ、キモー」風のネガティブなノンケ発言に言及する場合は別)、それは、「コドモに無邪気に真似されたら嫌だから」というのがいちばん大きな理由です。

http://6404.teacup.com/miyakichi/bbs?BD=2&CH=5&M=ORM&CID=1710

と仰るのは、たぶん私と似た事情があるからだと思うのです。・・・そう、

「レズ」呼称の場合、うちの掲示板内でならまだしも、よそでそれをやられたひには責任を取りきれません。なのでなるべく「レズビアン」「女性同性愛者」などと書くか、あるいは「レヅ」と表記をずらすかするようにしています。なんかねー、めんどくさいとも思うんですけどね。どうしたもんでしょうか。

というのは、結局のところ、「『ホモ』がもたらす<笑い>のパニックに対処しきれない」という点と重なるのではないかなぁと思うわけです。(本当、どうしたもんでしょうか・・・、まったく・・・。)

そんなわけで、「再盗用」という歴史(<つっても現在進行形の話だけれど)があるとは言え、正直使うのに抵抗のある名前言葉なんですよね。
しかし逆を言えば、「そうであっても、まだ捉え返すことは可能である」と言えるわけですよね。肯定的な自己表象として使う道があるだけ「マシ」なのかもしれない。いや、「マシ」と言うのもひどいかもしれないですよねw 使わない以外にも道はある、ということだから、これは結構大きな意味を持ってるわけですよね、うん。イッツワンダホーです。



さて、本題。(<え、今から?!)

なのですが、これはあくまで「“自己”表象」の話です。間違っても他者による意味づけの話ではありません。変態と呼ばれる私が「変態で何が悪い」と言ってみせるパフォーマンスは、再盗用として有意義かもしれませんが、そのパフォーマンスと、変態と呼ばれない他者が「変態で何が悪い」と言ってみせるパフォーマンスは、残念ながら同質ではないし等価でもないはず。他者がやってもそれは再盗用にはならないんじゃないかしら。結局は人の名前を他人が語るということだから。

そう、当事者の語りと非当事者の語りは同じものではありえない。
・・・・・・・・ならば、私が半歩くらい足を突っ込んでる腐業界ではどうなのだろうか?


・・・ところで、腐の全体性と言うものは何もBLやおい作品だけで語れるものではないと思います。レビューブログや、同人誌即売会などのコミュニティ的な繋がりがけっこう大きい要素として挙げられると私は思っています。で、作品の表現と言うパフォーマンスと、コミュニティで行われる腐同士のコミュニケーションというパフォーマンス(?)は、当然ながら異なるものですが、私は「腐におけるゲイ/ホモの表象」というテーマにおいて、この“コミュニティ”*3という要素を捨て置いて考えることはできないと思ってます。
彼女/彼らの言説のパフォーマンス(<政治と言ってもいいのかもしれない)は、「ホモ」という名前言葉において、特殊かつ大きな意味を持っているんですよ、実は。

何が特殊かって言うと、 現実に結び付けられない“空間”において、一般的な「ホモ」ではない新たな「ホモ」定義を作り出してる、 という点が特殊なんです。

現在の腐コミュニティでは「私たちの言う『ホモ』はリアルゲイとは無関係」といった物言いがあります。あれはつまり、彼女/彼らが使う「ホモ」は、私たちが一般的に「ホモ」と聞いてイメージする存在ではなく、自分たちの空想としての「ホモ」である、という内容だと思う。
「ホモであってホモでない。腐女子/男子が妄想する架空のキャラクタおよび関係性が『ホモ』なのであって、実際に『ホモ』と呼ばれる人のことではない。」そういう、屈折した物言いが腐業界にあると私は見てるわけ。
ここでは「ホモ」という名前言葉が、「ホモ」と呼ばれた者の手から離れ、腐のコミュニティ(<業界と言ってもいいけれど*4)で再定義されているわけだ。これは先に言及してた自己表象の話とはまったく別物だ。腐業界においては、「ホモ」は私たちを指す言葉ではなく、腐の専門用語としてあるわけだ。
さて、このように、(ホモと呼ばれた)私たちの手から離れた「ホモ」を、私たちが取り返すことは、果たしてできるだろうか?これが非常に厄介で難しいことなのだ。うん。
・・・たとえ彼女/彼らがどう言い繕うとも、どういう定義として使用したとしても、「ホモ」という言葉名前がもたらす<笑い>のパニックは起こりうるし、そして、そのパニックで実際に害を被るのは、使っている腐ではなくゲイホモオカマたちだ。であるにもかかわらず、“その「ホモ」”は私たちがイメージするあの「ホモ」ではないし、“その「ホモ」”は<わたし>ではないとされるのだ・・・。

そしてもうひとつ、「ホモ」の使われ方において特殊な点があるのですよ。
それは何かと言うとー・・・ですねー、それはですねー。
えーっと。腐当事者の一部は「この『ホモ』は私たちのファンタジーだ(だから現実のホモではない)」と言うわけですね。それがまず第一に特殊なんだけど、さらに特殊なのが、ホモと呼ばれ得るゲイ自身も、この言説を積極的に認めているところ。全部がそういうわけではないけれど、ゲイの一部も「その『ホモ』は彼女/彼らのファンタジーだ(だから現実のホモではない)」と言っているわけだ。
ここでの「ホモ」が「ファンタジー」であるということを、腐当事者のみならず、ゲイ当事者も認めてるというのが、けっこう特殊な点だと思う。
これって案外インパクト大きいよー?だって、(腐業界という現場において)ゲイ自らが“「ホモ」を名乗る権利”を手放そうとしてるのだもの・・・。この権利(?)を手放すということは、再盗用の機会を自ら捨て去ることでもあるし、その上、腐業界で使われている「ホモ」に対して当事者が異議申し立てをする機会すらも捨て去ることになる。この状況ってけっこう特殊でショッキングな内容だと思う。腐とゲイが、互いに「ホモ」から当事者性を剥ぎ取ろうと試みてるわけだから。

ゲイが、「腐業界で使われるホモと自分たちとは違うものなのだ」と言って、遠ざけようとする気持ちはわかる。当事者がいない現場で作られる漫画小説の世界が、自分たちとイコールにされたらたまったもんじゃない。それはわかるのだけれど、だからと言って腐の「これはファンタジーだ」という言説をベタに受け入れて、自分の名前を他人に譲渡してしまうのは、実際どうなのだろう・・・。私はちょっと心配だ。

確かに「あれは現実とは関係ない」と言ってしまえば、本音と建前方式で、二つを別個にして扱えるかもしれない。腐業界定義の「ホモ」がもたらすパニックを回避できることもあるかもしれない・・・。けれど実際問題、そんな使い分けをみんなが理解し、共通認識にできるとは到底思えないし、またそうすることが正しいとも思えない。なぜなら、「どの『ホモ』がファンタジーで、どの『ホモ』が現実か?」という設問には誰も答えられないのだから。
安易に「こっちが現実であっちが非現実」と言ってしまうと、ホモである誰かを「お前は非現実のものなのだよ」と意味づけることになりかねない。たとえば、「BLのように男同士に抵抗なくセックスしてしまえるホモは現実のホモとは関係ない」と言ってしまえば、本当に抵抗なくセックスできてしまった(笑)ホモを「現実にはいない者」として消去してしまうかもしれないのだ。*5

腐は「このホモはあくまでファンタジーだ」と言う。
ゲイも「あのホモはあくまでファンタジーだ」と言う。
両者は「だから現実とは関係ないのだ」と言う。

けれど、この言説のパフォーマンスはけっこう問題があると思う。なぜなら、たとえ違った意味合いを持つのだとしても*6、少なくとも今現在においては腐定義の「ホモ」も一般定義の「ホモ」も同じ対象を指し示し得る言葉なのだから。そういう“自分自身”を言及する名前言葉を、自ら「ああそうとも、あれは自分たちとは違う、関係ない。(だから当事者抜きで好き勝手に語り合ってくれ)」と丸投げしてしまうのは、リスキーな行為だと思わざるをえない。自分の名前を他人に譲渡することで、自分たちの名前の使われ方に異議申し立てをする機会や再盗用する機会を自ら捨てるなど、ちょっといかがなものかと・・・。
この物言いでは、「ホモ」が「私たちのものではない」という考え方を補強しあっている…。だけれど、「ホモ」とは“確かに”私たちのことなのだ。*7
仮にBLやおい作品や腐コミュニティで語られる「ホモ」が「ファンタジー」であったとしても、しかしその名前言葉はあくまで自分たちにかかわる名前言葉なのだから、ちゃんと自分の手に取り戻すことこそを、私はお奨めする。

*1:けれど、「なぜこの私がそんな面倒くさい気遣いせにゃならんの」、、、という気持ちは常にあるわけですよ、奥さん。

*2:id:miyakichiさん。

*3:と言ってしまって良いものか微妙ですけれど。

*4:ところでここではコミュニティと業界をあまり使い分けてないけれど、あんまり気にしないで。ここでは大して違わないから。

*5:ましてや、どの「ホモ」が本物(現実)であるかという議論の舵を、他人に譲り渡してしまうのは、非常に不味いはず。当事者にかかわることを当事者抜きで決め付けるのは、誰から見てもヤヴァいに決まってるもの。(と言っても、私は本物偽者という具合に、何かを分けることそのものに反対するけれどね。)

*6:どうか知らんけど。

*7:と言っても、私はホモというアイデンティティーを引き受けてはいない。しかし、引き受けていなくても、ホモという笑いのパニックで被害を受けることは実際にある。名乗ってないからと言って実害を避けられるとは限らないのだ。あるいは、私は男アイデンティティーを引き受けてないけれど、引き受けてないからって男性としての利益を受けていないわけでは、ない。だからこそ、アイデンティティーというものはワタシのものであってワタシのものではないのだ。