やおい系動画で色々と駄文ー。

追記的感想。

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これで見れるかな?
これ…、メタ的にJUNE批判してる動画かと思ったー。いやぁ、「男同士でつき合うと必ずどっちかが死ぬ」って何の法則性だ!!?笑 なんでJUNEで死ネタが多くてBLでは死ネタタブーとなっているかは、私には分からないけれど、このアホなカップルがこの同性愛関係での死ネタを当然の前提にしてしまうと、なんだか死ぬ必然性が全く意味不明になってきますよねw
そうそう、レズビアンの方がそういう傾向は顕著かも。しかも今でも(最近見たのでは高河ゆんの『LOVELESS』。いや、アレは本当に死んでるわけじゃないかもだけど。)。…物語の中では何故かよく死ぬよね、レズビアン…。そういうのってもしかしたら同性愛への否定的・悲観的なイメージに起因するのかも?「同性愛なんて不幸になるよ!」みたいな…。
でも、この『サチでもわかるてるたい講座』を見ちゃうと、「何故か物語の中ではよく同性愛者は死ぬけど、同性だからってバッドエンドにするのって、このアホカップルの持ってる認識くらいにアホ臭い事かも…;;」と感じてしまうかもです。感じないかもだけど。(どっち)
ところで、サチはてるたいの説明を聞いてイチイチ「ホモだ、ホモだ^^」って楽しげに言うのよね。アレって何なんだろうね。
あと、好きだったのが、最後の質問に対してサチが「うん、好き」って言うのが…wwwなんかイイ。そういやBLでも死んだ男に似た男が現れて云々って話しあったなぁ。「似ていたら他の男でもいい」って本音を躊躇いなく明かしちゃうなんて…!ロマンスは死んだわ!楽しい〜v
でもやっぱりムカツクー。あははは、笑いと怒りが共存する動画ー。


私ね・・・、最初コレ「てる」の片恋物語だとは気づかなかったッス!いや、「ジュース」にしても、「あれはきっと後輩に全部ジュース飲まれたらイヤだから、さっさと全部飲みきってしまえ!」っていうシーンだと勘違いしてたもん。。。うわー、私見る目ねー。

ある方が紹介していたから見たんだけど、最初「このコント、放送されていた当時に自分は見たことがないはず」と思ってたんだけど・・・もしかしたら見ていたかもしれないような気がしてきた・・・。
う〜ん、放送していた頃はともかく、今見ていると面白いデス。だけど・・・、私なんで覚えてないんだろう・・・。ああ、わかった。多分、あの頃は家族と一緒に「てる」を見ていられなかったんだと思う。だから多分直視していなかったんだろうなぁ。でも居たたまれなさを覚えつつも気になってチョコチョコ見てたものだから既視感があったんだ。
そして今もまだ直視できないまま・・・。「だって、これもお馴染みゲイを嘲る空気があるだろうし」というのもあるんだけど、それと同時に、やっぱり「てる」を他人事して冷静に見ていられないというのもあるかとwww
ああ、でも。コレ↑だけ見ると別に嘲りを受けたような気分にはなりませんでした。「うんうん、よくある話だろう」って思って、「てる」の片思いっぷりにどこかで切なくなりつつも私も大分楽しんじゃってます!
ところで、見てもらったらわかるけれど「笑う犬」というコント番組にはバックにいるスタッフの「笑い声」が聞こえてきますよね?私はコレ↑を見て、萌えつつ近親感と共に笑いつつチョッピリしんみりしつつ、楽しむわけだけど。しかしこのコントには私の視線だけがあるわけでなく、製作サイドの「笑えるか否か」という視線も絡んでくるんだよね。この行為性ってニコ動に似てるんじゃないかなぁと思う。
そうそう、以前ブクマである方に、私(のだだ)はニコ動見ないほうが良いのではと心配してもらったっけ・・・。(ありがとう)
でも実は私、ようつべに落ちた動画ならチョコチョコ見てたりします。しかもかなり楽しんで・・・。

私元ネタのアニメは見ていないんだけど、コレ見て「やっぱりオトコっていうモノは可愛いモノだよね!」とか思って・・・かなり楽しい。これが女の子だったら「ふーん」としか思わないだろうけどー。そういえば・・・。

「まーちゃんみたいなかわいい子が女の子なわけないじゃない、常識で考えて」

http://blog.livedoor.jp/lain6/archives/51203021.html


Gay's Sideだってー!そうそう、ときメモってGirl's Sideもあるじゃない?で、この場合もやっぱり異性愛はわざわざ「“ヘテロ”ガールズサイド」とか書かれないし、無徴であるのね。ソレを考えるとここでゲイサイドってモノを創造・創造してみるっていうのは、どういう意味があるんだろうと少し悩む。だけどなんか面白いです。

アハハハハハ!私、結婚と男女と生殖をセットにした話って苦手なところもあるんだけど、なんでかコレ見るとそういうの忘れちゃうっていうか、「↑みたいなセットってアホクセー」と思って笑っちゃうw(元ネタの話も実は笑えちゃう面白いものかもだけど)
…でも、本当は私獄ツナ派・・・(確かに山にもヤラレテそうだけどサー!でもあの子はきっと色んな人に狙われてるよー、可愛すぎて)。てゆか獄は単体として好き・・・。おかしいな、私の好みは山のはずなんだが。。。なんかもう獄デラは可愛すぎて・・・あの子は大変いかがわしいと思う。でもまだ大丈夫、獄がツナにゾッコンだからってツナに嫉妬とかしてないもん・・・。「じゅーだいめじゅーだいめ」って五月蠅い獄が好きだもん・・・。ところで獄はアムロの声に似てるねー。かぁいいなぁ。と言うわけでついでに貼っとく。
獄ー・・・。

とまあそんなことでして。
私は結構動画好きであリンス。
で、今回何が言いたいかっつーと、ニコ動もコメントを消して読むことは出来るんだろうけど視聴者だけの解釈しかナイ訳じゃないってこと。これがけっこう行為的で、たとえば「〜計画」とかの動画はクィアリーディングとしても色んな批評が出来るだろうけど、ここで誰かが「ホモくさい、キモ!」とか書き込んだとしたら私はこの動画を面白いものとして受け止められなくなるかもしれない・・・、つまり、そういう行為によって動画の与える効果(解釈・読みによる意味の受け取り)が変わっていくだろうということ。別にホモフォビックなコメントじゃなくても、たとえば「この動画には異性愛規範を脱臼させちゃう笑いのパフォーマンスがあるかも?」という解釈を促すコメントを書き込めば、それによって、誰かの動画の受け取り方が変わるかもしれない。

私はBLレビューも同じだと思っていて、一つの「笑い」に対してどのような読みをレビュワーとして伝えていくかによって、その作品の公的な価値が変わっていく可能性は、ある。一見ただ滑稽で無意味で果ては抑圧的な効果をもたらすかもしれない表現でも、その表現に対する読み方を多様な形で提示することにより、その表現の政治的な行為性というのは微妙に変わっていく・・・かもしれない。(?)
私はそういう意味で色んな人がレビューをするっていうのは有意義だと思うのね。クィアリーディングもその一つで、その作品に含まれる表現の意味価値をどのように掘り下げるかで、読み手と本の間に新たな境地が開かれるかも!(大げさ?)
たとえば同性愛者を受け入れる(て言い方もすごく微妙だけど。)家族の姿や性的指向の揺らぎ等を描いたBLを現実とリンクした形で批評することって重要だと思う。ただ「腐の妄想」として家族の受容や性の揺らぎを読んでしまうと、そうした出来事はあたかも非現実な「妄想」としてしか受け止められないかも。でもそこで「これは現実にも在ることだよね」と伝えつつレビューしていくことで、読者の持つBLへの捉え方も多様になっていくのではないかな。そしてソレをきっかけに、家族の受容などのテーマについても考えが深まるかもしれない。そういう期待を込めつつ私はレビューしたい。(<たまにしか出来ないけど!)