オカマは今は昔の青春を引きずる、今の男に昔の男の影を求めるように…。

 BLのポルノグラフィックな表現を読む<私>の中から見つけ出す。 - 腐男子じゃないけど、ゲイじゃない

女同士の性愛や男同士の性愛の現場では、…いや、「では」じゃなくて「であっても」、規範的な(!)異性愛の観念と無関係じゃいられないはず。だって、私達の性は常に規範を内面化した<私たち>のオメ目にまなざれているわけだから。
それをかんがみるに、女女・男男的表現にクィアを見いだそうとする時も、ただただ規範的異性愛観念とは無関係の表現を見つけ出すだけではなく、むしろ距離の近い表現(あからさまに膣挿入をイメージした行為とか)を男女ではない身体舞台で繰り返し繰り返し“模倣”する逸脱性を見つけ出さなくちゃならない…っぽい。
規範的異性愛を男女ではない身体舞台で繰り広げる。これはすんごいアンビバレンツな傾向がある。スナワチ、規範に同化する傾向と、「模倣」として規範を逸脱する傾向。
たとえば、一部の(あるいはメタな)BLが規範的異性愛の「模倣」であるとしたら…。つまり、男女で行うべき(とされる)「性行為」を模倣しているが、にもかかわらず、その行為を実行する主体が「男女」ではないという事の、規範の逸脱ね。
ここから生まれるクィアな可能性って色々あるんだろうなぁと思う。具体的に言えば何だろう?
規範的異性愛の姿が所詮男女の舞台でなくても戯画的に模倣出来ちゃう非本質的な(素材で支えられている)ものであり、故にその行為はパフォ―マティブに規範で、且つ脱臼され得る規範である事実を晒す。…とかね。
「男性器を挿入する、される男女の営みこそが正しい(!)セックスである」とか言っちゃってるキュートな観念に対して、BLなどは「え?でも男女じゃなくても似た事が出来ちゃうよ?(笑)あなたが正しいと思ってるセックスって、こうして同性間で見てみると案外戯画的で笑えちゃうね!」みたいにまなざし返す可能性を秘めている。
このように、BLの「異性愛の模倣」は、規範の逸脱としてクィアな表現だと言えそうだ。
ただ、難しいことに、BLではベタにこの規範的異性愛を内面化したセックスストーリーが多い。「未だ挿入していないから、俺たちはちゃんとセックス出来てないんだ!焦っちゃうね、こりゃ!」とか言ってるキャラクタもまだまだ散見されます。私感だけど、挿入ありきのセックス観は今のBLでも多数派。
つまり、「模倣」がベタに規範の同質化へと進んでいる傾向も認められるわけだ。*1
以前のエントリで私が懸念したのは正にこの辺りの話だったはず。模倣という名の逸脱ではある。あるのだけど、しかしこの模倣からは(たとえば)「バニラセックス」という表現はなかなか生まれ得ないではないか。そういう思いから、私は現在のBLの表現体系に少しばかり諦めを感じちゃう。私は幼稚園児やってた頃から「男同士でどうしたら気持ち良くなるかなぁ」とか考えてたのね。その頃は規範をそれほど内面化してなかったはず。そして、今思えばあの頃の私が想像していた「セックス」はバニラセックスだとか「男百合」とか言われるものだった気がする。私はそういうセックスに充分なエクスタシーがあると感じていたし、満足してますた(腐ったエロガキだぜ、まったく♪)。だけども、規範を内面化していくうちに、セックスとは自分で創造するものではなく、学び倣うもの(模倣するもの)だと考えるようになった…ような気がしなくもない。<どっち。
そういう模倣の精神からは、確かに過去の私から失われた「官能」があったように思いマス。そうした失われたものからクィアが消えていったのなら、私はこれほど口惜しい事もない。私の青春を返せ!>A<ウワァアン!


模倣は確かにクィアな可能性を秘めているのかもしれないけど、私は正直それだけでは不満なのね。戯画的なBLも楽しいのだけど、規範もなんのその、どこふくカゼ、みたいなセックスと官能を味わいたいのね。BLという読書でも。
私の大好きなBLちゃんは、過去の私の幼稚なセックス観を復元してくれる可能性を、残してくれているのだろうか?
「昔の官能よさようなら、新たな官能にこんにちは。」とは素直に言えないのよ、この老成したエロガキには。
ま、要するに昔の男を引きずっているオカマって話なんだけど…。


ただ、アナルセックスばかりに拘ったせいなのか、過激系の性描写ではアナルを使った色々なハードプレイや道具プレイ表現も一部で見られるし、どんどん表現の多様化も進む可能性は否定されないはず。この意味でも、繰り返し繰り返し「模倣」を続けるってことには、性の文化的意味があるように思う。


・・・えぇと、他に書きたいことあったっけな。まあいいや、思い出したら書く。手直しもあとでする。てゆかリボ見たい。リボ。獄がオイタしてるから今落ち着いて萌えていられない…。

*1:だけども、勿論面白いのもありますよー。此間雑誌『ピアス』読んでたらさ、受けがアナル弄られてオナラプーしてるシーンがあって楽しかった。あれはアナルセックスを美化せず「奇妙な」セックスであることを率直に物語っているように感じた。これって結構ベタな規範の内面化に逆行すると思うの。