後日書くと言ったけど、例にも漏れず遅れそうです。

えっと、ごめん、実は最近BLキャラクタのセクシュアリティ描写について書こうと思ってたの。で、内容としては「(主に商業BLの)攻めと受けの<関係性>と<セクシュアリティ>はテキストの中でどのように関連しているのか。また、それは性の問題or愛の問題、どちらの問題として立ち現れていたのか」といったものです。なのだけど、これに関してはせめて実際のテキストをいくつか挙げた上で考証してみた方が良さそうだと考え直したのね。だから多分『ノダダがBL読んだ』の方でこのテーマを書く事になると思う。いや、どっちでもいいんだけどね。どちらにしても、チョット時間がかかると思うので、以前に「後日書く」と言いつつ後回し。

なので他の事について雑記。

2008年06月20日 Rikerike 心理, 801, あとで読む 後でじっくり読もう。BLは男×男と見せかけた男×受けだと言っていた事を思い出した

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nodada/20080525/p1

とブクマを頂いたのでふと思ったのですけれど。うん、確かにこの言説のようにBLの男性キャラクタを非現実的な男性像として「性別受け」などと言い表すことは実際にあります。

さて、これについて思うのですが。じゃあ異性愛テキストでは「性別受け」みたいなのってあるのかな?という点。「レディコミの男性像は女の妄想だ」だの「男性向けエロの女性像は男の妄想だ」だの言われるけれど、BLのように「これは性別受けでしかない」みたいに言われる現象って起きていないような気がします。なんでだろう。

もうひとつ。
えっとー、「性別受け」っていうのはですね、「こいつは男として非現実すぐる、だからこいつの性別は受けでしかない!」というニュアンスがあるんですよ。つまり男性ではないけれど女性でもない訳ですね。であるのに、男性同士の恋愛を描くとされるやおいBLジャンルの単語な訳です。…おかしくありません?ロリショタは女性と男性の性を若年性でミックスさせるという方行性があるような気がしなくもない。ふたなりは二つのジェンダーを横断している。
私が思うに、「性別受け」っていうのは、男性でもなく女性でもないが、男性から派生した男性の亜種なのだと思う。
でもこれ自体がおかしくって、男性ジェンダーが二分化されたのはいいとして、じゃあ「性別受け」じゃない方の男性は一体なんなの?ってことになる。「性別受け」があるところに「性別攻め」がないとおかしいのよ。なのに、そんな呼び名は、ない。
なぜなら、「性別受け」は一個のジェンダーの間に差異を見いだし男性を二つに分割するけれど、その場合既存の「男性」枠があるのに性別受けだけが新規の「男性」枠を作ってたんじゃおかしいのよ。じゃあ、新たな「男性」の性別枠には「受け」しか性別はないの?でもそれって一個のジェンダーを2個に分割するというのと矛盾する。
と言う事は、「性別受け」は何か新しい枠を作ってるんじゃなくて、既存の、正しい(とあえて書く)「男性」に対してだけ現れるタームなのか…。なんか複雑だな!

でもね、本当にそうなのだとしたら、つまり70年代少女漫画の「少年」的な「第三の性」であるのなら何故ふたなりとかロリショタ系の表象体系に傾いていかないのだろう?だって明らかに性別受けを孕んだやおいBLって男性表象体系の文化じゃないですか。

「性別受け」のタームにはね、(1)「一個のジェンダーに差異を見いだし分割」していながらも、(2)「性別受け」には「男性」という共同性が孕んでいる。男性ジェンダーを多義的に分散しておきながら、一個のジェンダーへと収斂していく。そう考えると妙にアンビバレントなんですよ。
…これって何てパンク?



ダメだ、「受け」と「性別受け」を分けて論じる手法がない限り、いくら考えても泥沼だ。