正しい「読み」があると思うほうが幻想だと思う。

思えばクィアとは、自分たちの求める物語の供給が不足しているためか、ダブルミーニングの表現・解釈を好んだり、一見して抑圧的に映る聖書を自分たちがエンカレッジされるようなテキストに読み替えるなどして、<存在>の拠り所、<欲望>の居場所を見つけてきたのだよなぁ。そういう営みを否定することは、人生の模索を否定することにつながりかねないのかもしれない。とりわけ、<欲望>の生存可能性の否定という文脈で。クィアリーディングも、また腐のやおい読みもしかり、なのだろうか…。


本日、掲示板などネットをうろうろしていたら、「勝手に〜〜と〜〜をカップリングするなよ、他の人らが誤解するだろうが。原作者も恋愛とは違う友情だと言っているのに」という台詞を百合界隈で聞いたのだけれど、えー、作者が読者の読み方に何か注文つけることなんて原理的に不可能なんだから、「原作者が〜って言ってた」なんてのは本当どうでもいいことじゃないか。
確かに荒唐無稽って感じの読み方はあるよ。一般的に賛同されない「読み」ってのは自己解釈がほとんどで、立証的ではない。けれど、だからってその「読み」をしてはいけないルールなんてないし、そこに自分の欲望を見出したこと自体に意味があるのよ。だって、そういう欲望による「読み」が、テキストの価値を深めていくのだもの。テキストはただ受動態ではなく、読者との相互関係で積み上げられる意味の集合体なのでは、と私は感じている。

やおい読みだってそうだよ。別に原作者の意向に沿って読まなきゃいけないなんて糞ったれなルールはないんだし、誰と誰をカップリングにして読もうがそれは読者の解釈であって誰のものでもない*1
ていうか、誰かと共有できる「読み」なんて、おそらくは表面的なものでしかあり得ないと思う。もちろん、自分とは違う読みや似た読みを知って自分の読み方を変えたり深めたりすることはありうるけれどね。でもそれは「どの読み方こそが正しいのか」っていう下らない本質論じゃあ、ないはずだ。
だから、本来「読み」に誤解も糞もないのだ。で、その「読み」が違うと思うなら自分が信じる「読み」を提示すればいいでしょ。「お前らはおかしい、そんな解釈はしてはいけない間違いだ」なんて大上段ではなく、一個の意見として、「読み」を深めていけばいいじゃないよ*2
いや、彼らもある意味「読み」を提示しているんだ。「お前の恋愛という読み方は間違ってる本当は友情だ」とね。でも、そういう一般的で世間的に賛同されやすい読み方してるからって、自分の「読み」だけが“正当/正統”だと思うのはおこがましいよ。あんたは全能なる神様か?あんたが正しい読み方を決めるのか?どうやって?そんなこと可能だとでも?そもそも何でそんな決め付けされなきゃなんないのよ。
・・・思うんだけどさ、それぞれ「読み」が違うのは当然でしょ。まったく何をうろたえてるのよ、今更。
そういう奴に限って「勝手にホモにするな、それは腐女子の勝手な幻想(「妄想」)だ」みたいに異性愛中心主義で(女性による男性の)同性愛を「ないことにする」んだよ。本当何様。
て言うか何?あんたのは「読み」は幻想じゃないとでも思ってるの?って思う。前から言ってることだけど、「読み」はどれも恣意的よ。自分が体制派だからって他の「読み」を迫害する権利なんてないわ。


そんな訳だから、私は「百合オタ・腐オタの勝手な解釈はイタい。妄想を巻き散らかして迷惑かけるな」といった言説よりも、「周りから正しいと思われなくても、萌えるから物語を捏造してるんだ」といった言説のほうが共感できます。
ま、どちらも「読み方には正しいのと間違ってるものとがある」って前提に立つ場合があるんだけれど、フリーダム度が高いって意味で私は腐がするやおい「読み」を支持するな。

ちなみに私はネタで妄想してるんじゃなくて、ガチだけどね。

*1:だから私は読者に注文をつける作家は自分の作品価値を狭めてるという点で不快だし、付き合う義理もないから無視する。

*2:みたいなこと言ってカプ論争になったら目も当てられないけれど、彼女らは↑の連中とは違って、自分の読みに「原作者の意向」やヘテロセクシズムの権威を盾にして正当/正統性を訴えるマネはしないんじゃないかしら…。自分たちが「正当/正統な読み」の持ち主として立たないことを自覚しているから