異性愛者だってタチとネコってあるでしょ?と勝手に思いたがる私。

いつもお世話になってるりょうたさんとみやきちさんのやり取りを抜粋。

それにしても、平気で「ネコ?タチ?」と訊いてくるノンケが絶えないのは、ただ基本的礼儀の感覚が麻痺してるだけではなく、ノンケと同性愛者にタチネコについての認識のギャップがあるようにも感じますね。
僕がたまたまそういう人を見ただけかもしれませんが、タチネコをジェンダーとほぼ同一視しているノンケが、結構いるようです。
ある人たちにはどうもゲイにはネコとタチの2種類のジェンダーがあると理解されているらしく、ただセックスの好みだけじゃなく、思考や行動もその「性差」によって違うと思っているのではないかなと。
いしゆり掲示板

それに対してみやきちさんの指摘。

それは絶対あると思いますね。

日本人は英語の文章を読んでいて"brother"という単語に出くわすと、「で、それは兄なの弟なの?」と必死で年齢を示す記述を探してしまいがちですが、それは、発想の根底に
・「男のきょうだいは必ず年齢によって『兄』と『弟』に分けられるはず」
・「『兄』と『弟』では本人のふるまい方も、周囲のふるまい方も変わるはず」
という思い込みがあるからですよね。だから兄なのか弟なのかがわからないと落ち着かないわけで。

ゲイをタチとネコに分けないと気がすまないノンケさんにも、それと似たようなものを感じます。つまり、
・「人は性愛の現場では、必ずジェンダーによって『男』と『女』に分けられるはず」
・「『男』と『女』では、本人のふるまい方も、相手のふるまい方も変わるはず」
みたいな信念を、そうしたノンケさんは抱いているんじゃないかと。その上で、タチを「男ジェンダー」、ネコを「女ジェンダー」に直結させているんだと思います。とにかく性愛の場には「男的なるもの」と「女的なるもの」が揃っていないと落ち着かないという人たちなんでしょうね。
[・・・]
どうしても「男らしい男を好むのは女っぽい人である」という発想から逃れられない人たちなんですね……。
いしゆり掲示板

・・・あ、ごめんなさい、私も「ブラザーって兄か弟かどっちやねん!」ってよく思います。だってどっちかわからないと「弟×兄」なのか「兄×弟」なのかよくわからないんだもん。あ、ちなみに私はどっちか言うと「弟×兄」派。
(↑・・・そこはどうでもいい。



で、りょうたさんはタチとネコについてこういう風に語られるのです。

みやきちさんもご存知かもしれませんが、特にゲイの場合は挿入がなければタチネコ大して関係ないですし、「ネコができない(体質的に挿入があわない)からタチ」という人もいるので、性格ましてや外見なんて関係ないんですが。

僕にはそんな、単に性別だけじゃなく外見・思考・性格までビシッと役割分担された恋愛やセックスの方が、かえって異様に思えるんですが…。僕に理解できないことはできないこととして、わざわざノンケに訊いたりしませんが。そんなの失礼ですから(笑)。

ふむ。りょうたさんは挿入行為を一つの「プレイ」として捉え、こう仰る。


でもこういうはよくある。つーか、腐女子さんの一部でもよくあります。つーか、BLでも「ネコ=女役タチ=男役」って言葉がよくあるので、そういう感性は腐にもあるでしょうね。んで、実社会での同性間セックスまでもいわゆる男女の模倣として捉えてる。(BLのディシプリンとしてなら理解できるんだけどねぇ)


・・・ところで、私は異性間セックスもネコとタチで分かれるよな、と勝手に一人で思ってます。
だって、挿入するのは何も男性に限らないでしょ?男性に挿入する女性だっているじゃない。実際そういうふうにセックスしているカップルもいるでしょう。だから、ネコとタチの関係は異性間同性間 関わらず、ある。と私は捉えている。
おっと、ここで「女性はペニスがないんだから挿入出来ないじゃん」と思った方、お待ち下さい。挿入は何もペニスじゃないと出来ないわけじゃないですよね?ちょっと想像してみればすぐわかります。(さあ、レッツイマジネーション!)



女性にもタチ(orネコ)の人は居る。(どちらでもない人も居る。)
男性にもタチ(orネコ)の人は居る。(どちらでもない人も居る。)
同性間セックスでもタチとネコの関係がある。(ないこともある。)
異性間セックスでもタチとネコの関係がある。(ないこともある。)
そんなのは、ゲイやビアンのセックスの現場でタチとネコの関係性が確認されてきた頃からわかりきってたことでしょ?だって、ゲイも男でビアンも女なんだからさ。
たとえば、ヘテロ男子がネコのゲイを知ったときに、既に「あ、俺も『ネコ』になれるんだ」とわかってるわけだ。だったら、異性間セックスの現場でだって「タチ女とネコの俺」という関係性が考えられてもおかしくない。

なぜかは知らないけれど、二者間によるセックスを男女の性役割(男は能動的女は受動的)で捉える人は多い。けれど、何もそれだけがセックスの捉え方ではないよね。タチとネコという役割分担もある。
セックスは捉え方次第だよ。なんでもかんでも男女の性役割で捉えたら、ネコとタチの関係もすべて男女の性役割として映るだろうし。逆に、なんでもかんでもタチとネコで捉えたら、男女の関係もすべてタチとネコとして映るだろうよ。発想の転換ですよ、奥さん。


これはねー。サディストとマゾヒストを考えてみると分かりやすいと思う。
二者間セックス(に限らず性愛表現一般)には、サディストとマゾヒストという関係性もある。
で、マゾは女性だけじゃないよね。サドの女性もいる。男にもサドマゾどちらもいる。そして異性間同性間であっても、どちらがS/Mなのかはわからないし、各カップルでそれぞれ異なる。それはタチとネコでも同じこと。


私の勝手な見方からすれば、挿入される女性と挿入する男のセックス現場を見ると「ああ、この女性はネコなんだなぁ、で、男はタチなんだ。」と思うわけですよ。勝手にね。
だから、私からすればゲイ(ビアン)のネコとタチの関係は「ネコとタチ」の関係であって男女の模倣関係ではない。むしろ、私は男女の関係を「ネコとタチ」の関係として読み込む場合も、ある。

それぞれの視点があるというだけ。

重要なのは、相手のセックス観を尊重することだと思う。
2つのケースを想像してみよう。たとえば、ある人に「私らの関係(ネコとタチ)を勝手に男女の性役割として捉えるな!」と言われた場合に、「あ、はい、わかりました。捉えません」というやり取りがあるのが必要だと思う。
逆に、ある人に「私たちの関係(男女の性役割)を勝手にタチとネコとして捉えるな!」と言われたら、やっぱりその場合も「はい、捉えません」と諒解しなきゃダメだと思う。
それぞれセックス観というのがあるわけだから、それをお互い尊重できるようになりたいよね。

私もつい異性間セックスや同性間セックスをタチとネコの関係性として捉えたがるけれど、それは「当事者がどう捉えてるか」をまず考えなきゃね、と思う。
それぞれのセックス観はあれど、自分以外の人のセックスを語るときに自分のセックス観を押し付けて語るのは、やっぱりあまり宜しくない。
お互い尊重し合えるといいよね、という話です。