「性的異常者」「かわいそうな人たち」になったほうがいいですか?

一時記事を消しました。すいませんでした。では、この際だからもっと書き込んでから記事をサルベージします。
http://subsite.icu.ac.jp/mt/cgs/nl001_03.html
日本語のトランスジェンダーて一般にどういう理解がなされてるんですかね?私個人は「生まれてから付与された性別とは異なる性を生きる者」という風に捉えてるんですけど。(これってドンな定義付けかしら?)

トランスジェンダーとは、「心の性と体の性の食い違いに苦しむ状態」のことでWHO(世界保健機構)の分類にもある疾患名です。

えー、本当に??
この記事2004年のものなんだけど、2004年だろうとなんだろうと、多分「トランスジェンダー」はWHOで分類されてないんじゃなかったっけ?確か医学用語じゃなかったよな?と思って検索。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/term/term.html

トランスジェンダー (Transgender / TG)
 身体の性(sex)と本人が自己認知する性(gender)が一致しないケース。またその人たち。狭義にはTVとTSとの中間概念。広義にはTV、(狭義の)TG、TSの総称として用いられるが、ICD 10には疾患としての「Transgender」は存在せず、医学用語としては扱われていない。
 ただしこの語は、かつて DSM に規定されていたこともあり、この語の成立の経緯を勘案すれば、意図的・自己選択的に「男でもなく、女でもなく」あるいは「男でもあり、女でもあり」という選択をした人の場合には、トランスジェンダーの概念には含まないと考えるのが妥当であろう。

http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/term/term.html#tg

DSM-IV
 米国精神医学会が制定した、精神疾患の診断および統計の手引の改定第4版。日本では採用していないが、文献等ではよく参考にされしばしば登場する。

http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/term/term.html#dsm

うーん。やっぱりWHOの分類には「トランスジェンダー」はないようですが・・・。

それと、「トランスジェンダー」という言葉はVirginia Princeというアメリカの異性装者コミュニティの指導者により、1970年代に作られた、ということが検索でヒットします。*1
トランスジェンダーという言葉は、医学的な話と言うよりかは、社会文化的な話に介入する要素が含まれてるようです。
けれど、現在日本では性同一性障害という言葉がトランスジェンダーの言葉の役割を果たしそうな勢いですよね。医学用語でもあるけれど、マスコミによって、日常会話の中で、様々な語られ方をされているのが現状ではないだろうか。


話を戻します。で、このように話は続きます。↓

 最近、少しずつ「トランスジェンダー」や「性同一性障害」という言葉を耳にすることが増えてきましたが、まだ多くの人にとって実感の湧く言葉ではありません。むしろ「性的異常者」や「かわいそうな人たち」というニュアンスの方が強いのではないでしょうか。

http://subsite.icu.ac.jp/mt/cgs/nl001_03.html

そうお書きになられた上で、トランスジェンダーとして生きる事の“困難さ”について、話を進めるこの記事。


トランスジェンダー性同一性障害という言葉があるけれど、その言葉には、先行して“いかに困難か”というイメージを持って語られてるような気がする。
ところで、私は性自認というものを頭では理解してるつもりなんだけど、性自認を持つと言うことには、感覚的に理解が出来ない。私は自分がガキの頃から性別に関してちょっと憤りを感じていたように思う。学校で性別欄を記入する際、なぜ男にレ印書かなきゃいけないのか!と悔しい気持ちだった。

そしてそんな私にとって、男か女かというのは結局無理やり人間にシールをつけるようなもののように思えてくるのだ。
けれど、きっとそれは考えすぎなだけだと思う。それに私だって「なんで自分が日本人だと思えるの?」と問われたら、とても困ると思う。なにかに同一性を見出すと言うのは、結局頭でガチガチに考えても割り切れるものじゃないんだろうなぁと思う。

私は単に性別に自己同一性を持つ根拠みたいなものとか理由とか価値みたいなものを見出せなかっただけなんだと思う。

じゃあ私はただ男か女になる理由がなかったのであって、性同一性障害でもトランスジェンダーでもないのか?
しかし、性別のどちらかに分類されるこの社会において、私は自分を男と認めないのなら、それは社会の視線からは「トランスジェンダー」もしくは「性同一性障害」になるのではないか?*2
自分が名乗るかどうかは別にして、私にだってトランスジェンダー性同一性障害の文脈で自分を語る・語らざるを得ない部分もあると思う。実際私は私の事を語る上で「自分のトランスジェンダー的欲望が云々」と語っていたように思う。


けれど、ここで私はある壁にぶつかる。
トランスジェンダー性同一性障害と分類“できる”(!)かもしれない私。けれど、上記のように「トランスジェンダー」は困難と苦痛のセオリーを抱えるキャラクタとして強調されるときがある。確かに引用先にかかれるように、男女でない事でトランスジェンダー的苦痛を多少なりと抱えることは、おそらく私にもあったし、更なる苦痛と困難を感じてきた人たちもいるだろう。

うーん。なんだか、けれども、しかして、さりとて。
私はけれど、なんだかトランスジェンダー性同一性障害も言葉として使いづらい気がしてならない。それは、私がそれほど性別に関することを自分の性において中心軸とまでは考えないからかもしれないけど、それ以外にも、困難と苦痛が先行したイメージの中で「私もいわゆるそれなんだよー」と発言することすらも、こう・・・恥ずかしいような申し訳がないような風に感じてしまうからだ。
いやでも、私だって多くのトランスジェンダーが経験した苦痛を性別欄において感じてきた。なのに、なぜか困難と苦痛を記事で書かれるほどには感じてない私は、なんだかとてもトランスジェンダーとして不適当な気がしてくる。(正直泣くほどでもないかナァ、泣いた事もあったかもしれないけど覚えてねーわ)
これも名乗る*3かどうかは別にして、性同一性障害に関しても、正直私の中で障害を名乗るのが引け目に感じるし、でもそれって障害をなんか特別に意識しすぎじゃないか?とも思うし・・・。まあそこまでくると「しょうがい」って何よ、みたいな疑問符が出るんだわ。

 しかし一方で、「青い芝の会」という障害者団体が提唱したことであるが、「障害は個性」と言い切り、いわゆる健常者との差異を徹底的に相対化してしまう考え方もある。彼/彼女らに言わせれば、健常者(この団体は「健全者」というが)こそが特殊な存在でしかない。
 これから類推すると、性同一性障害も個性の一つと考えれば、身体や精神などに障害を持つ者と同一の平面で考えることができる。性同一性「障害」という言葉の違和感は、身体的性別と性自認や社会的性別が一致している者は特殊な個性であると相対化することにより、解消されうる。

http://homepage2.nifty.com/mtforum/ge003.htm

森田真一さんが筒井真樹子氏に言った「障害者と一緒にされるのは嫌か」という言葉は私の胸にもドスンと刺さるものがある。
そして私は、私を障害者と位置づける理由はあるのか?という基本の処に立ち戻ってゆく。

結局、私が私である所以を障害だと呼ばれるならそれでいいような気がするし、トランスジェンダーと呼ばれるのならそれでいいような気もしてくる・・・。要は、受け止める側の気持ちや事情が重要なだけの話かもしれない。
でも、私は男と名づけられるのは嫌いだ。障害と男はどう違ったんだろう?私は男と呼ばれてもよいのかもしれない。けれど、たとえば私が変態を名乗ることと、男を名乗ることは、何か違うような気がする・・・。何がどう違うのだろうか?結局私は男を選ばないというだけなのかな。

なんだかよくわからなくなってきた。

さよオナラ。

*1:http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=Virginia+Prince+%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC&lr=

*2:性同一性障害は流石に無理あるかな。“反対の性”を望んでるわけじゃないし。

*3:というか、自分の性を口で説明する際に使用すること?